灘中学・高等学校 和田孫博校長先生
Q1.和田先生がご自身で灘中学・高校と進学されたきっかけと、進学する際に影響されたことはなんでしょうか。
灘中学校を最初から目標にしていたわけではありませんでした。小さい頃から体が弱かったこともあり、活字を読むことが好きで、勉強も嫌いではありませんでした。小学校四年生のころから、両親の勧めもあって家庭教師の先生に勉強を教えてもらうことになり、灘中学校を目指すことになりました。当時の灘中学・高等学校は東大合格者数全国一になる前であり、関西でトップクラスの進学校という位置づけでした。(和田先生が入学したのは昭和40年、灘が東大合格者数全国一になったのは昭和43年のことだった)
小学五年生くらいから模擬試験をうけることになり、模試の成績は悪くありませんでしたが、成績表を見て自分よりも成績が優秀な生徒から影響をうけて負けじと勉強していました。当時は特に算数が得意でした。
Q2.先生ご自身が文系を選択したきっかけ、京都大学進学をどのように決められたのか教えていただけますでしょうか。
中学一年生の夏休みに勉強しなかったせいで英語が苦手になってしまいました。中学二年生になっても中々英語の苦手を克服出来ずにいたところ、親戚のおじさんから簡単な英語の本を読んでみてはどうかと促され、コナン・ドイルなどの推理小説を読んでいるうちに英語を読むのが好きになりました。
中学生の頃は他にもいろいろなことに興味があり、地学研究部に所属していたこともあって気象学に特に関心を持っていました。ラジオから流れてくる気象通報を聞いて天気図を書くことが楽しみでした。
進路も初めは気象大学校を考えていましたが、物理、化学ともに受験に必要と知って諦め、好きな英語を活かすために文系を選択しました。
父からは神戸大学の経済学部に進学して家業(水産物の小売業)を継いではどうか、と提案されましたが、英文学科に進んで英語の勉強がしたいと伝えると受け入れてもらえました。実家から通ってほしいという両親の希望もあり、一年浪人して京都大学の文学部英文学科に入学しました。
受験生だったころは、現役、浪人とも自分で選んだ参考書などを使って勉強していました。授業も比較的真面目に聞いていたと思います。灘高校時代、英語は得意でしたが数学は自分よりも遥かにできる人が沢山いたこともあって、自信がありませんでした。予備校に通うようになってから、自分は数学が普通の人よりは出来るらしいということに気付き、自信を回復することができました。
Q3.大学卒業後は教職に進まれましたが、進路を決める際にどのようなお悩みがあったでしょうか。
英文科を卒業した後、大学院に行くことも考えましたが、膨大な資料を読んで黙々と研究に打ち込む教授の姿を見て、自分は教授には向いていないと判断し、大学三年の頃にはもう教員になることに決めていました。両親から反対されるようなこともなかったように思います。
大学四年の時に母校の灘中学・高等学校へ教育実習に行きました。英語で書かれた小説を読む授業だったのですが、説明も含めて全て英語で実習授業をした記憶があります。教育実習終了後、指導教官をしてくださった先生に「教員になりたいのか」と聞かれ、「なりたいです」と答えたところ、翌日すぐに校長先生から呼び出され、次の年から採用していただくことに決まりました。
Q4.先生ご自身は教頭先生、校長先生へとキャリアアップされていますが、ご自身で目標をもってお仕事に取り組まれていたのでしょうか。
生徒の物理的、精神的な自由を重視して教育を行ってきました。校長になった今、学校経営のことも考えながらも、調整役として先生方が指導をしやすい環境づくりを行っています。灘中学・高等学校は私学として、これまでも自由な発想や個性を尊重してきました。トップダウンの指揮や号令は意味を成さないと考えています。
Q5.先生ご自身の進路を選択されてこられたご経験から、今後の学生や保護者の方へアドバイスをお願い致します。
学生へ
現代は連続性のない変化が起こる時代であり、今の学生が社会人になった時どのような課題に直面するかわからない。そのとき頼りになるのは専門的な知識の土台となる一般教養であろうと思います。受験勉強は教養を身につける良い機会と捉えて頑張ってください。
保護者の方へ
中学校受験などの場合は保護者の方が学校の特徴などをみて選んであげることが重要だと思いますが、大学受験はお子さんが自主的に考えて決めるべきではないかと思います。大学進学後に挫折したとき、自分で選んだ大学であれば頑張れますが、周りが選んだ大学では失敗から立ち直れないことがあります。お子さんの自主性を重視してあげてください。
関連リンク 灘高等学校ホームページ
昭和27年6月 大阪市に生まれる
昭和40年 大阪市立の小学校から灘中学校に入学 中高6年一貫教育を受ける
昭和46年 灘高等学校卒業
昭和47年 京都大学文学部入学
昭和51年 京都大学文学部文学科(英語英文学専攻)卒業
同年 母校に英語科教諭として就職
英語を教える傍ら中学高校の野球部の監督・部長を務める
平成18年 同校教頭に就任
平成19年 同校校長に就任 現在に至る
*『精力善用』・『自他共栄』の校是のもと、「生徒が主役の学校であり続けよう」というスローガンを掲げている。
*好きな言葉:「和顔愛語」と「啐啄同時」
著書に『教えて! 校長先生 - 「開成×灘式」思春期男子を伸ばすコツ』 (中公新書ラクレ)
、受験参考書への執筆、文芸春秋へのインタビューなど、多方面で活躍中