開成・灘高校 校長先生御対談
Q1.(武林) 先生方の自己紹介と学校のご紹介をお願いいたします。
柳沢先生
開成中学・高等学校校長の柳沢です。教職に就くことを考えていましたが、当時工学部では工業の教職免許しか取れなかったので、大学で研究、教育活動を長い間行っていました。その後、縁あって入学後50年経って開成に校長として戻りました。
開成は明治4年の創立で、今年で145年を迎えます。開成の名前は「易経」の一節である開物成務から取ったものです。物とは生徒一人一人の素質を指し、これを開くことで社会への責務を成す、という開成の役割を明確に表したものになっています。創立時から現在まで、この根本精神は変わっていません。私が学生だった頃と平成の今では、目標への道筋、教育の方法は異なりますが、基本となる考え方を変えることなく、教育活動を行っています。今日はよろしくお願いします。
開成中学校・高等学校の沿革
https://kaiseigakuen.jp/about/history/
和田先生
灘中学・高等学校校長の和田です。大学卒業後灘に就職し、英語の指導と野球部の顧問を長い間行っていました。10年前から校長に任命され、現在の職についています。
灘のある神戸は古くからの住宅地で、勉強・進学への関心が元々高い地域です。昭和の初めに学校を作る際には、講道館を創始し、東京高等師範学校(東京教育大学を経て現在は筑波大学)の校長を務めた嘉納治五郎に顧問を依頼しました。その影響で、灘の校是である「精力善用」「自他共栄」は講道館柔道の精神と共通のものです。この校是に従って、灘中学・高等学校では、まず生徒一人一人が自分にどのような能力・長所があるのかを見極め、それを最大限に発揮すること、そしてお互いに力を出し合って補い合うことを教育の根源と考えています。自分の力を知るためには自由自主が重要との考えから生徒の自由を最大限に尊重しており、教育においても各教科の先生方の自主性に任せています。灘中学・高等学校では1人でも多くの社会に貢献できる青年を育てようと89年間教育活動を行ってきました。本日はよろしくお願いします。
灘中学校・高等学校の沿革
http://www.nada.ac.jp/enkaku.htm
Q2.(武林) 現在医学部は2016年に37年ぶりに東北医科薬科大学が誕生、平成20年に7793名だった定員は2016年には9262名と1469名と大幅な定員増となっており、2017年には国際医療福祉大学が認可申請中となり、更に120名の定員が増加される状況になっています。地域の崩壊や医師の偏在が叫ばれ、いわゆる医師不足解消のための政策ですが、このままですと歯科医師のように医師余りの状況も危惧されています。これに連動して、医学部が身近になり受験者数は増加して医学部だけが過熱気味なっていると思います。この現状に対して先生方はどのようにお考えになりますでしょうか。
柳沢先生
医学部の受験は就職試験だと思います。東大の場合は入学してから進学振り分けという制度があり、大学生になって教養科目を学んでから進路を決めることができます。アメリカでは医学は大学院で学ぶものであり、4年間の大学学部を卒業してから医学大学院で4年間学ぶという体制です。したがってアメリカでは、自分が医学部に向いていないことがわかれば途中で大学院を辞めても大学卒業の資格は残ります。
しかし、日本の医学部は途中でやめることは高卒の資格しか持たないことを意味します。途中でやめることはアメリカよりも難しいと言えるでしょう。医学部への進学は特別なものですから、しっかり考えてからの進学をお勧めします。
和田先生
医学部への進学は就職試験という考えには私も賛同します。医学部は入学すれば卒業後の職業を意識しやすいというところも医学部を選ぶ学生が多い理由の一つかと思います。しかし、医学部に進んだ人のすべてが医師に向いているとは限りません。入試制度などに関しても再考する必要があるのではないでしょうか。
Q3.(武林) どのような時代になっていっても資格の取得を目的として大学へ進学をするという選択は存在すると考えますが、特に医師を目標とする場合に先生方が生徒の皆さんに伝えています心構えなどがあれば教えてください。
柳沢先生
私は開成の校長になる前、環境学を研究していました。大気汚染を特に専門的に研究していて、環境基準の数値を決定するためのデータの収集、解析などが専門でした。公害病は当時新しい病気であったことから、医師も未経験の疾病であり、正しい対処ができないこともありました。
自覚症状というものは他人には感じることが出来ません。医師は患者の訴えを聞いて、病気はなんだろうと自分の頭の中に問題を作り、検査や問診によって問題を解き、投薬や施術をして様子を見ます。数日経って症状が改善していれば、医師は自分の診療に確信を持って治療を行いますし、改善が見られなければ別な病気の可能性を考えて対策をとります。このように医師の診察とはあらゆる可能性の中から一つの病気を見つける作業であり、与えられた問題を解くのとは違ったプロセスをとります。
また、医師は職業です。患者にはリピーターになってもらわなければなりません。この辺りは流行りのラーメン屋さんの店主と変わらない工夫をする必要もあるかと思います。この二つの自覚を持って、医師になって欲しいと考えています。
和田先生
灘高校では土曜日に様々な職業のOBを学校に招いて講演してもらう「土曜講座」というものを開催していますが、その中で大学病院に勤務する医師に講演してもらったことがあります。彼の話では、医学部入学後、知識はあるけど医師としての素質のない学生が多いという印象を受けることがあったというものでした。病院で実習を行っても、マニュアル通りの対応に終始し、患者の顔も見ずに診療する学生が非常に多いそうです。他人との一対一の対応がうまくできない人は医師には向いていないと断言していました。安定した職業だという理由で医師を選ぶ人もいますが、長時間労働によって時間単価はサラリーマンと変わらない場合もあります。やりがいはありますが、安易な気持ちで医師になることはお勧めしません。
Q4.(武林) 昨今、医師には幅広い疾患に対応したジェネラリスト、専門医のライセンスを持ったスペシャリストが求められており、また、マネジメント能力も重要と言われています。先生方のお考えをお聞かせください。
柳沢先生
医師は患者の言葉と、言葉になっていない歩き方や声の調子、目の動きなどを総合的に判断して診察しなければなりません。患者は医学の素人ですから、自分の専門とは異なる病気を訴える場合もあります。その場合は専門医にしっかりと引き継ぐ能力も求められると思います。マネジメントとは、パラメディカル・コメディカルと呼ばれる医師以外の医療従事者や関係者との連携をうまくとる能力のことだと思います。また、勤務体系にもよりますが医師は週に約100時間病院にいて勤務する場合もあります。当直は一回につき36時間連続勤務の場合もあります。やりがいはありますが辛い仕事です。自分自身のマネジメントも重要ではないでしょうか。
和田先生
様々な分野の人がチーム医療で患者を治している現代医療は灘高校の校是にも通じる面があると思います。医学部を目指す生徒の皆さんには是非、医学部合格をゴールだと思わないで欲しいと思います。医学部合格は医師という世界への入場券をもらったに過ぎず、その後もしっかりと勉強する必要があります。また、医学部ならばどこの大学でも同じだと思います。国家試験に合格すれば医師としての差はないわけですから、あまり大学のネームバリューにはこだわって欲しくありません。医師とは技術の進歩に合わせて働き方も変化する職業ですから、医師になった後も勉強はやめられないことを忘れないでください。
Q5.(武林) 中々、予測するのは難しい部分もあるかと思いますが、先生方が考える、或は危惧する、将来の日本の姿はどのようなものでしょうか。教育に携わっていく人たちが考えなくてはならない点、保護者やこれからの若い世代が留意すべき点などがございましたら教えてください。
柳沢先生
私は1971年に大学を卒業した後、民間企業でATMの開発をしていました。当時は第一次オイルショックで、狂乱物価の発生していた時代でした。当時システムエンジニアは数少なく、私自身コンピュータという単語は高校生の頃、英単語を覚えるための単語帳で初めて目にしました。当時はコンピュータを電子計算機と訳していました。
その後、大学院へ入学し、環境学という新しい分野の研究を行いました。校長になった今、思い返してみると、システムエンジニアと環境学の研究者という二つの職業はどちらも新しく生まれたものでした。医師という職業はヒポクラテスの時代からありますが、今後どのように変化をするかはわかりませんし、新しい治療法や医薬品がどのようなものになるかの検討は全くつきません。
もう一つ大切なことは、皆さんが医師として一人前になり、安定してくる20~30年後には患者の数が減っているということです。高齢化社会はもうじき終わりを告げ、少子化が全世代に波及することで、歯科医師のように医師が余る時代が来るかもしれません。しかしそれは日本だけのことであり、世界を見れば医師の足りない地域や、乳幼児の生存率の低い地域もあると思います。歯科医師が虫歯の治療から矯正やインプラントへと活路を見出したことは医師も見習うべきところがあるかもしれません。世界の各域で働くことも視野に入れるべきだと考えます。
和田先生
未来のことを考えるにあたって、現在はグローバル教育、それも日本から海外へ進出するための言語・文化教育を重視してきました。いわば、水平的なグローバル化と言えるでしょう。それに対して、未来のこと、つまり時間的なグローバル化を考えると、将来の日本では今ある仕事の半分がロボットやコンピュータに移り、新しい仕事が生まれると言われていますが、どんな仕事が生まれるかはわかりません。そして、今の花形産業が、将来も花形とは限りません。20年前は原子力が花形で材料や化学産業は人気がありませんでしたが、現在は材料・化学産業が日本の未来を担っていくと言われています。将来も何が花形になるのかはわからず、重要なのは教養をしっかりと身につけることでしょう。受験勉強もただの反復とは思わず、中等教育の総まとめだと思って行えば、モチベーションも湧くのではないでしょうか。
医師も将来的には、技術の進歩に伴って診療に機械をさらに用いるようになるでしょう。しかし、患者は人間ですから、診療に人間の手は絶対に必要だと思います。
質疑応答
Q1.医学部を目指す生徒に進路指導を行っていますが、中には医師に向かないのではないかというような生徒もいます。そのような生徒に対してどのような指導を行っていますでしょうか。
柳沢先生
開成の進路指導は生徒の自主性を重視したものです。生徒が医学部に行きたいと言えば、それは生徒自身が考えて出した結論ですから基本的には尊重します。将来、その生徒が壁にぶつかることもあるかと思いますが、それも進路実現のためには必要なことと考えています。
和田先生
こちらも同じような姿勢です。医学部入学後に国家試験合格まではスムーズに進んだものの、壁にぶつかる卒業生もいます。しかし、医師としての活躍の場は一つではありません。臨床医に向いていない人は他の道に活路を見いだすものです。灘の卒業生にも、トップの成績で東大医学部へ入学した後、医師に向いていないことに悩み、考えた結果、臨床医ではなく、青少年の心理研究の道に進み、その道の第一人者になった人もいます。進路に関しては本人に任せるのが一番だと思います。
Q2.和田先生のお話の中に、今後は医療の分野でもロボットが導入されるとのお話がありましたが、医師の需要が減るなどの影響はありますでしょうか。
和田先生
医師の需要が減ることはないと思います。先ほども説明したように、患者は人ですから、人間の医師はこれからも重要です。しかし、ロボットを使う中で、医師の仕事の効率性が上がり、今の重労働の現状が解消されることはあると思います。
Q3.グローバル化のお話がありましたが、学生が海外で学ぶことの必要性に関してお考えをお聞かせください。
柳沢先生
グローバル化と言われていますが、私はカタカナで書かれていることは信用しないことにしています。漢字は表意文字ですから、漢字に訳されている外来語は意味がはっきりしています。カタカナのままの外来語は表音文字のままですから意味のはっきりしていないものであると思います。グローバルを漢字にすると広域化という漢字になると考えています。日本における広域化は歴史的に見れば、初めて直面するものではありません。「満蒙開拓」や「集団就職」などが例に挙げられます。つまり、これまで日本人は広域化の経験をしてきているのです。このことからわかるように、社会が転換点を迎える時に必ず広域化は起こります。現在の広域化は交通手段の発達により今までよりも広範囲で、全世界的に起こっただけであり、目新しいことではないように思います。
和田先生
日本において医学界はあまりグローバル化されていない分野だと思います。医師免許には国際的互換性がなく、医薬品の認可に関しても特に日本の場合は遅いことは周知の通りです。このような仕組みを維持することは難しいと思います。いつまでも日本のガラパゴス化を続けていくことは不可能ではないでしょうか。
Q4.私は世界で働ける医師になりたいと思って勉強しています。世界に出るときに社会や制度などの壁があると思いますが、これを乗り越えるにはどうしたらいいと思いますか。
柳沢先生
私は大学院を卒業した後、日本国内で公害の研究をしようと活動しましたが、公害の研究は日本経済の成長に逆行するものと捉える風潮があり、日本国内で公害の研究をすることが困難な時代でした。したがって、アメリカで研究を行うことにしたのですが、アメリカに行く時に考えたのは、失敗した時の保険を持っていなければならないということでした。私自身は、背水の陣で人生に臨む姿勢は正しい作戦とは考えていません。上手くいかなかったら、川に落ちないように向こう岸まで渡れる丸木橋を1本、用意しておくことが必要だと思います。
和田先生
自分のしていることを周囲の人にわかってもらうことが必要です。最初は自分のことを受け入れてもらえなくても説明を繰り返し、賛同者・協力者を増やしていくことが必要です。神奈川県知事の黒岩祐治氏はキャスター時代に救急救命士が医療行為を行うことができるよう活動を行いました。最初は誰も見向きもしませんでしたが、報道番組での特集を繰り返すうちに社会的議論を巻き起こし、医師会・厚労省との交渉の結果、救急救命士の医療行為ができるように制度を変更しました。このようにあきらめず、説明を繰り返すことが大切だと思います。
略歴
1947年生まれ。1967年開成高校卒業、1971年東大工学部化学工学科を卒業。コンピュータ会社のシステムエンジニアとして3年間従事した後、東大大学院で大気汚染を研究し、博士号取得。東大助手を経て、1984年よりハーバード大学公衆衛生大学院に移り、研究員、助教授、准教授、併任教授として教育と研究に従事。また1993年より、財団法人地球環境産業技術研究機構の主席研究員を併任。1999年東京大学大学院・新領域創成科学研究科・環境システム学専攻・教授、2012年東京大学名誉教授、2011年より現職、空気汚染と健康の関係を実証的に明らかにすることが主要な研究テーマ。
大気環境学会副会長、室内環境学会会長、臨床環境学会理事、NPO法人環境ネットワーク文京副理事長、REC(中・東欧地域環境センター、在ハンガリー)理事などを歴任。
著書
18歳の君へ贈る言葉 (講談社+α新書、2016)
なぜ中高一貫校で子どもは伸びるのか(祥伝社新書、2015)
教えて! 校長先生 – 「開成×灘式」思春期男子を伸ばすコツ (中公新書ラクレ、2014)
自信は「この瞬間」に生まれる(ダイアモンド社、2014) エリートの条件(中経出版、2014)、ほめ力(主婦と生活社、2014)
世界を変える「20代」の育て方(大和書房、2013) 化学物質過敏症(柳沢幸雄、石川哲、宮田幹夫、文春新書、2002)
CO2ダブル(三五館、1997) 国際マベリックへの道、(西村肇、今北純一、柳沢幸雄、小川彰、高尾克樹、鈴木栄二、若槻壮市、ちくまライブラリー40、1990) 他共著多数
略歴
1952年6月 大阪市に生まれる
1965年 大阪市立の小学校から灘中学校に入学 中高6年一貫教育を受ける
1971年 灘高等学校卒業
1972年 京都大学文学部入学
1976年 京都大学文学部文学科(英語英文学専攻)卒業
同年 母校に英語科教諭として就職
英語を教える傍ら中学高校の野球部の監督・部長を務める
2006年 同校教頭に就任
2007年 同校校長に就任 現在に至る
*『精力善用』・『自他共栄』の校是のもと、「生徒が主役の学校であり続けよう」というスローガンを掲げている。
*好きな言葉:「和顔愛語」と「啐啄同時」
著書に『教えて! 校長先生 – 「開成×灘式」思春期男子を伸ばすコツ』 (中公新書ラクレ)、受験参考書への執筆、文芸春秋へのインタビューなど、多方面で活躍中