menu

医学部・獣医学部など 医系の大学進学を目指す方の検索サイト

麻布中学校・高等学校校長 平秀明先生

医学部進路の決め方

Q1.麻布中学校に入学したときのことを教えてください。

私は東京の都心、港区で生まれ育ちました。麻布中学校は同じ区内にあり、家からも近く、友達の兄も通っていたこともあり当初から意識にありました。4年生の2月から近所の個人塾に通って受験勉強に取り組みました。
昭和48年4月に麻布中学校に入学しました。当時は数年間にわたる学園紛争の直後で、学校は驚くほど無秩序な状態でした。先輩たちは長髪でジーンズをはいたりしていて、とても大人びていました。そして、部活動や自治活動など自分たちの領域への教師の介入を極度に拒んでいました。当時は国鉄や私鉄などの交通機関が春闘のストライキで運休したため、私は徒歩通学であるのに休校になったりしました。5月の連休には3日間にわたる文化祭があり、その前後は準備や後片付けなどもあって、入学後しばらくは落ち着かない時間を過ごしました。

Q2.中学高校時代のことを教えてください。

私は小学生時代は専ら外で遊ぶ子どもでした。ほとんど本を読まなかったのですが、中学1年の夏休みに学校で薦められた小説を読んだことがきっかけとなって、本に親しむようになりました。部活は化学部に所属し多摩川の水質検査をしたり香料について調べたりしました。夏休みの合宿でハイキングをしたことが思い出深いです。また、当時の英語学習は読み書きが中心で、聞く話すは軽くしか扱われていないことに物足りなさを感じて、NHKのラジオやテレビで英語やドイツ語の勉強もしました。中学から高校にかけての時期は好奇心にあふれ、知識欲に飢えていました。先生によっては、生徒の興味や関心を高めるために工夫を凝らした授業を行って、いろいろな刺激を与えてくれたことが嬉しかったです。

麻布中学校・高等学校校長 平秀明先生

Q3.東京大学工学部を志望したきっかけを聞かせてください。

父や伯父、従兄弟など多くの親戚に工学部出身が多かったことが影響していますが、より直接的には私の育った時代から受けた影響が大きいと思います。当時は日本が高度経済成長の時代で、科学や技術が日々進歩し、生活が豊かになっていくことが実感される時代でした。アポロ11号が月面に着陸し、人類が初めて月面に降り立った快挙や、人類の進歩と調和を謳った大阪で開かれた万国博覧会の開催など、科学や技術の進歩こそが豊かな未来を築いていくものと考えていました。中学高校での数学や理科の学びが楽しかったことや、部の先輩たちが次々と名門の大学に進学していく中で、自分も化学を専攻して研究者として人類社会に貢献したいと思うようになり、東京大学理科Ⅰ類を志望先として勉学に励みました。当時から医学部は人気があり、私も母から医学部を受けてみないかと打診されたことがありました。しかし、血を見るのが苦手だったのと、当時は人に向き合う仕事には向かない性格だと思っていたのでその気はありませんでした。
高校2年の後半からは受験勉強に打ち込みましたが、学友には難問もすぐに解いてしまうような天才肌の強者がたくさんいました。模擬試験の成績上位者に彼らの名前が載っているのを見て、私は彼らに負けぬよう一生懸命勉強しました。ちょうど、私たちの学年が大学入試を迎えた年に共通一次試験が導入され、制度の変わり目で不安でしたがマーク式の模試を受けるなどして対策し、2次試験に向けても猛勉強をして合格することができました。

Q4.東京大学入学後に教師という道を選んだ理由を聞かせてください。

大学では中学高校時代の友人より、地方出身や都内でも他校出身の友人と多く付き合いました。彼らからは大きな影響を受けました。大学の勉強のかたわら、当時、社会問題になっていた公害や薬害に興味をもったことがきっかけでそのような患者さんに話を伺ったり、原子力発電に伴う様々な問題について考えるなかで、科学や技術と社会との関わりに関心が移っていきました。このまま企業や大学で研究や開発に打ち込むなかで自分も公害などの負の影響を社会に及ぼさないとも限らないのではないかと考えるようになり、合格していた大学院も辞退して、人を育てる道を歩むことにしようと教育学部に学士入学しました。そこで教育学について学ぶと共に、数学と理科の免許を取得しました。当初は都立高校の教員になることを目指していましたが、縁あって母校の教員となりました。数学の教師として28年間教壇に立ちました。

麻布中学校・高等学校校長 平秀明先生

Q5.生徒だった時代と今とを比較して違いなどあれば聞かせてください。

私が生徒だったころは、現在とは異なる時代背景もあって、保護者は学校に多くを期待していなかったように思います。ある意味、教育については学校にお任せでした。一方、生徒は学校では何事も自主的に活動していましたし、先生方も生徒たちの危なっかしい活動を広い心で受け止めてくれていました。みんなガリガリとは勉強していませんでしたが、学校は活気に溢れていて楽しい空間でした。今、日本の社会は政治も経済も閉塞的な空気に満ちていて、大人も子どももかつてのような明るい未来が描きにくい時代となっています。しかし、本校の創立者江原素六先生が「青年即未来」と仰ったように、生徒は未来そのものです。ですから、生徒たちには、勉学や部活動、各種の行事に積極的に関わり、学校生活を生き生きと楽しく過ごしてほしいと思います。若者が将来に希望が持てない社会は健全とはいえません。中には、過剰な期待や周囲からのプレッシャーに押されて引きこもってしまう生徒もいます。これはとても悲しく残念なことです。保護者の方々には、たとえ自分の子どもであっても高校生ともなれば立派な大人ですから、一個の人格として認め、本人の意志を尊重し、願わくは人生の先行者として良きアドバイザーとなってもらえればと思います。

Q6.生徒へ向けてメッセージをお願いします。

中学高校時代は長い人生の礎を築く時代です。まず、すべての土台となる健康な身体をつくり、そして、規則正しい生活を送ってください。そして、一生懸命に勉学に取り組んで下さい。けれども、いわゆる教科の勉強だけでは十分ではありません。それ以前に、人として生きていくために必要なこと、すなわち、相手に対する思いやりであったり、不正義は許さないという勇気であったり、誠実さ、公共心、向上心などを培うことが大切です。そのうえで、自分の人生です、自分が主人公なのだから自分がやりたいことをやればよい。自分の得意不得意を知り、自分をよく知る人や人生の先輩、専門家からのアドバイスを受けるのがいいでしょう。天職を見つけられた人は幸せだと思います。生きていく糧を稼ぎながら自分のやり甲斐を見つけられたのですから。職業に限らず、人生はそのときに応じて岐路があり、連続する選択によりその人の人生が決まるといっても良いでしょう。もし、違うと思ったらいくらでも転進して構わないと思います。遅すぎるということはありません。岐路ではよく考える、そして自分で決めた道を進み、決めたら振り返らない。そうすれば、少なくとも後悔しない人生を送れるのではないでしょうか。

関連リンク 麻布中学校・麻布高等学校ホームページ

たいらひであき
平秀明先生 略歴

麻布中学校・麻布高等学校 校長

略歴
昭和35年 東京都港区生まれ。麻布中学校・高等学校出身。
昭和58年 東京大学工学部・卒、学士入学を経て、昭和60年3月 東京大学教育学部・卒。
昭和60年4月 数学科教員として母校に勤務。
平成25年4月より現職。