東邦大学学長 高松研先生
Q1.東邦大学の特色について教えていただけますか。
大正14年に女子医学専門学校として創立されましたが、戦後に共学の大学へと改組され建学の精神も一新されました。戦前の理念は女子教育が第一でした。実学によって女性が活躍できる社会を理想とし、女性が活躍できる分野として医学、薬学、理学を挙げ、その専門学校が作られました。戦後は「自然・生命・人間」を建学の精神として掲げ、新たに出発しました。生命科学を探求することで、かけがえのない自然と人間を守ることを目標に努力しています。医学部では、人間愛に満ちた、心あふれる医師の育成に努めているところです。
大学入試の在り方を見ていただくと、本学の特徴がよく表れていると思います。二次試験の結果を重視することで、医師という職業をはっきりと意識した受験生を多く迎えています。本学は臨床医の育成を最優先に考えています。これは研究が医療に優先するのではなく、医療をより良くするための研究を行う医師を育成するという姿勢です。近年は社会に求められる医師像が変化してきており、医師には患者さんの意思を第一に診ることが求められています。医師として患者さんとのコミュニケーションがしっかりと取れる医師になれる学生を二次試験で選抜しています。
Q2.教育の特徴について教えていただけますか。
現在、医学部は国際基準に合致した教育を展開することが求められています。本学も国際基準に対応したカリキュラムを今年から導入しました。臨床実習の時間を増やし、座学の時間を減らしています。従来のカリキュラムよりも教える知識量は少なくなっています。自学自習の環境を整備し、自学自習の時間(Flexible Time)を増やし、さらに臨床実習という医療の現場で学ぶことで、必要とされる知識を自ら学び、知力を養うことを求めています。具体的には三年間で座学を終了させ、四年次から臨床実習に入ります。
これは私の考えですが、今入学してくる学生たちが一人前の医師となって活躍する頃にはコンピュータが今よりも更に発展していることが予想されます。現在でさえ、画像診断などの一部の分野では、コンピュータや人工知能が正確な判断を下せるようになっています。与えられた情報をもとに正確な判断を下すことはコンピュータや人工知能に任せ、人とのコミュニケーションや状況判断などにおいて人間の医師の力が発揮される社会となるでしょう。したがって、覚えるだけの学習を減少させ、技能や患者さんとのコミュニケーションをとる方法の学習などに時間をかける方が、将来の社会に必要な医師を確実に育成できると考えています。
また、入学時の成績と一年生終了時の成績にはほとんど相関はありません。医学部への入学が目的だとそこで学びが止まってしまいます。医師になり社会で貢献することを目標として入学してきた学生の方がその後伸びています。入学後、一、二年生の間にある程度の負荷をかけることで、目標が明確でない学生にも医師になるという自覚を持ってもらうことができると考えています。早い段階で自分の将来について考え、社会における役割についてはっきりと意識して欲しいと思います。
入学後、試験に不合格だったり躓いたりすることがあれば、補習授業やカウンセリングを丁寧に行っています。面談などの際に本人に厳しい言葉をかけることもありますが、学生のドロップアウトを避けるためにも時には必要なことだと考えます。
国家試験は年々難しくなっていますが、合格できる学力はしっかりと身につく教育を提供しているつもりですし、最後は自分で勉強して合格してもらえるよう、時間と環境を提供して自主学習に取り組んでもらっています。
Q3.先生ご自身のことについて教えてください。
私は福岡出身です。高校は鹿児島ラ・サールに通っていました。高校の頃は、学校に天文台があり、そこでロケットの観測などが行われていたことも影響して航空工学に興味があり、工学部を志望していました。東京大学理科Ⅰ類への進学を希望し、医学部と最後まで迷いましたが、最後は医学部へと進学しました。祖父と父が福岡で診療所を開いていました。父からは医者にならなくていいから自分のやりたいことをしなさいと言われましたが、医学部へと進学を決めました。工学部を志望していたこともあって、研究にはもともと興味がありましたので、卒業後はすぐに研究室に入りました。その後はずっと研究一筋です。研究は順調に行かないことの方が多く大変なこともありますが、やらされているわけではなく、やりたいことをやっているので辛いと思ったことはありません。ただ、今本学が育成しようとしている医師像から考えると反面教師と思います。
Q4.東邦大学にお勤めになった経緯についてお聞かせください。
本学に来る前は慶應義塾大学でずっと研究していました。慶應大学で師事していた教授が定年退職された機会に、ポストが空いていた東邦大学からお誘いがありましたのでこちらに移りました。慶應大学でも学生に指導していましたが、東邦大学の学生には違った良さがあるように思います。接していて新鮮で楽しく、充実した時を過ごしています。
学部長になった後は、大学の仕事が忙しく、研究との両立は難しいのが現状です。仕事の内容も大きく変わり、今は学部長の仕事に専念しています。以前は学生一人ひとりの顔を全員覚えて授業を行っていましたが、今は現場を見ることができなくなっていることが残念です。
Q5.東邦大学医学部を志望する受験生に向けてメッセージをお願いします。
入学が学びのスタートだと思っている人を迎えたいと思います。今、いかに多くの知識を持っていても、知識は5年経つと古くなり、10年で使い物にならなくなります。変わる力、柔軟性を持った人を是非迎え入れたいと思います。知識量ではなく、創造力、判断力、人間力を持っている人を迎え、このような能力を入学後にさらに伸ばして、未来の社会に貢献する人材を育てたいと思います。
関連リンク 東邦大学ホームページ
略歴
昭和47年 ラ・サール高等学校卒業
昭和53年 慶應義塾大学医学部卒業
昭和57年 同大学院医学研究科博士課程修了、同医学部助手
昭和58年 三菱化成工業研究所勤務
昭和60年 慶應義塾大学医学部講師
昭和63年 米国スタンフォード大学留学(平成元年まで)
平成3年 東邦大学医学部助教授
平成6年 同医学部教授
平成24年 同医学部長
所属学会
日本生理学会、神経化学会、神経科学学会
専門分野
神経生理学、神経化学、細胞内カルシウムシグナル