筑波大学医学群医学類教授 田中 誠先生
Q1.筑波大学医学群医学類の特色をお聞かせ下さい。
筑波大学医学群医学類は、1973年に医学専門学群として開学と同時に開設されました。学群とは、他大学における学部段階の教育を行う組織であり、専門領域を中心にいくつかの学問分野を統合した形で構成されています。学群の中に学類が置かれ、学生は学類に所属することになります。
筑波大学医学群医学類は全国初の病態・症候別体系の医学教育カリキュラムの開発や、海外臨床実習の正規実習化など、新しい高等教育の開発・普及を全国の医学部に先駆けて行ってきました。また、現在は筑波大学全体が「スーパーグローバル大学創生支援」タイプA(トップ型)の一つとして、国際的に開かれた大学を標榜している中、医学群医学類としても分野別国際認証に対応することで、更なる医学教育の国際化を図っていきたいと考えております。分野別国際認証に関しては、昨年の12月に国際基準に基づく医学教育認証評価を受審し、現在はマイルストーンや、医学類コンピテンシー作成のため、協議しているところです。医療の国際化は良いことですが、国際認証への対応を急ぐあまり、日本の医療、医学部が特徴を失って均質化してしまうことを危惧しています。外国語教育などで特色を出していくしかありませんが、日本の医療のよいところも受け継いでいきたいと思います。
本学類の定員は140名で、全国で最も多い定員数です。地域枠や推薦など、様々な入試方法を採用していますが、これから、入試と大学生になってからの成績の相関などを調査したいと考えています。どのような医師を育成したいのかによって評価の方法が変わりますし、新しい組織を作ると言っても教員の人数が増えるわけではありませんので、調査にも難しさはありますが、入試方法や教育方針の見直しのためにも、調査を行っていきたいと考えています。
女子学生も年々増加傾向にあり、入学者の三分の一程度は女子学生です。女性は医師として働くようになってから、出産や子育ての時期とキャリアアップを目指して努力する時期がちょうど重なってしまい、どうしてもキャリアプランを考えるうえで難しい問題はありますが、仕事の量はたとえ男性医師より少なくとも、仕事の質の面で十分にカバーできる優秀な人が多いように感じます。また、幼稚園や保育園に空きがない、家族の理解が得られないなど働きたくても働けない環境に置かれている女性医師も多く、社会全体にも大きな問題があるように思います。
Q2.教育カリキュラムの特徴について教えて下さい。
分野別国際認証への対応のため、カリキュラムは大きく変更しました。講義は75分授業、15分休憩で実施しています。内容に関しても、今までのようにすべてに関して網羅的に講義することは時間的に不可能になりました。少人数チュートリアル教育でディスカッションを通じて、学生に理解を促しています。従来からの講義形式の授業は当初の1/3~1/2に減少しました。学生は自分で考え、学習し、解決することを求められていますが、中等教育の詰め込み型教育に慣れてしまった学生はうまく対応できず、結果として授業についてこられない学生もいます。中には残念ながら除籍になってしまう人も出ています。
勉強について来られない学生を少しでも減らすため、担任制を設けて対応しています。一学年に五人の担任がおり、定期的にチュートリアル期間を設け、学生全員と面談しています。特に問題のない学生への面談は短時間で終わりますが、学群長や学類長が面談を行ったり、精神科の先生に同席してもらったりする場合もあります。
現在はグループ学習中心の教育カリキュラムですから、コミュニケーションのハードルが非常に高く、自発的な学習が出来ない学生や引きこもりがちな学生は進級が難しくなっています。そのような学生に対しては様々な配慮を行っていますが、根本的には高等学校の進路指導の段階で、その子にあった進路指導をお願いしたいと考えています。
Q3.ご自身が、医師を目指されたきっかけや受験勉強でのエピソード、人生のターニングポイントなどについて、お聞かせ下さい。
高校一年生の時、通っていた筑波大学附属高校からイギリスの高校に留学しました。バカロレアという資格を持って卒業しましたので、アメリカ、カナダ、日本の三つの国の中から、どの大学に進学するか検討しました。アメリカの大学は学費が高く経済的に難しく、カナダの一流大学と日本の一流大学にあまりレベルの差を感じませんでしたので、以前通っていた筑波大学附属高校の先生と相談し、筑波大学医学群医学類に進学しました。受験の際は、国際バカロレアの勉強をした経験から数学、物理、化学、生物は苦になりませんでしたし、英語の勉強はする必要がありませんでしたが、国語に苦労しました。共通一次試験では、失点の半分は国語だったように思います。医師になったきっかけは、家族に病人がいたことでした。家族の病気が治るまでは、何か霧のようなものがかかったように重たい雰囲気が家族の中にありましたが病気が治った時、霧が晴れ、家族の雰囲気も良くなりました。そのとき私は、医師は病人だけでなく、その家族も救えることを知り、医師になりたいと思うようになりました。
学生だった頃は、日本にも総合診療医を普及させようという機運の高まっていた時期でした。そのためにはアメリカで研修を受けなくてはならず、アメリカで医師として働くことのできる資格が必要でした。私は総合診療医にはあまり興味はありませんでしたが、アメリカで研修医としての訓練を受けたいという思いから5年生と6年生の間の時期にその資格を取得していました。その後、厚生労働省の留学プログラムの中に総合診療医育成のための奨学金が用意されていることを知り、国のバックアップを受けながらアメリカに留学しようと考えていました。
ところが、私たちの学年から一人も麻酔科に進むものがいないことに焦った麻酔科の教授や准教授に説得されて、留学を取りやめ、麻酔科に進むことになりました。当初、麻酔には興味はありませんでしたが、特定の臓器ではなく全身のことに関われる医師になりたいと思っていましたので、総合診療医とは全く違う分野でしたが、麻酔科でも良いと思い、麻酔科を選びました。麻酔科に進んだ後は一流の臨床医になることを目指し、一流の臨床医になるためには一流の教育を受けなければならないという思いから三年間の日本での研修の後、アメリカへと留学しました。二年間のアメリカでの研修は、日本での研修とは比べ物にならないほど厳しく、辛いものでしたが、アメリカの研修生は日本よりも多くの医療行為を経験できるため、とても良い経験になりました。
今は学類長という立場ですので、あまり臨床の仕事はしていません。専ら組織のマネジメントが仕事の中心です。アメリカよりも教員の数が少なく、学生の面倒も日本の先生の方が良く見ていますので、仕方のないことだと思っています。
Q4.筑波大学医学群医学類を目指す受験生にメッセージをお願い致します。
本学の教育の理念として、どんな分野であってもグローバルに活躍できる人材を育成することを校是としています。特に医学群医学類としては、スーパーグローバル大学として、何処にいても、何をしていても世界に何かを発信することのできる医師を育成しています。具体的には、語学力のあること、勤勉であること、素直であることが求められていると思います。大学入学後は勉強や実習など、受験生の頃より忙しさを感じると思いますが、自己学習、自己研鑽などを通して、一生学び続けられる学生を求めています。
関連リンク 筑波大学ホームページ
学歴
昭和61年 筑波大学医学専門学群医学部卒業
取得学位
平成8年 博士号(医学)取得 筑波大学
職歴
昭和61年 4月 筑波大学附属病院 見学生
昭和61年 6月 筑波大学附属病院 麻酔科研修医 医員
昭和62年12月 筑波メディカルセンター 麻酔科 医師
平成元年 1月 水戸済生会総合病院 麻酔科 医師
平成元年 7月 The Johns Hopkins Hospital 麻酔/集中治療科 レジデント
平成 3年 7月 筑波大学 臨床医学系(麻酔学)助手
平成 5年10月 総合病院土浦協同病院 麻酔科 医師
平成 8年 7月 筑波大学 臨床医学系(麻酔学)講師
平成10年 4月 秋田大学 医学部麻酔科学講座 助教授
平成17年 7月 筑波大学 人間総合科学研究科 機能制御医学専攻 麻酔・蘇生学 教授
平成28年 4月 筑波大学 医学群医学類長
所属学会
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日本小児麻酔学会
日本麻酔科学会
American Society of Anesthesiologists
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