大阪大学大学院医学系研究科長・医学部長 金田安史先生
Q1.大阪大学医学部の入試制度改革などについてお聞かせください。
大阪大学医学部のアドミッションポリシーは、「物事の本質を見極め適切な判断を迅速に下せる人。」「自由な発想と豊かな想像力により独創的な提案のできる人。」「倫理をわきまえ豊かな人間性を身につけて社会と交流できる人。」「自らの信念を貫徹する強い意志と他人の考えも行け入れる柔軟性を併せ持つ人。」以上4点です。
このような学生を適切に選抜するために、一般入試(前期課程)では、大学入試センター試験並びに個別学力検査の成績に基づき、面接の内容も加味して入学候補者を決定します。推薦入試(世界適塾入試)では、大学入試センター試験並びに小論文試験の成績及び面接試験を総合的に評価しています。これらの入試以外にも、私費外国人留学生特別入試、外国在住私費外国人留学生特別入試や、学士編入試験など、多様な選抜方法を実施しています。
国が主導する2020年の入試改革を見据えて、大阪大学医学部では多様性をキーワードにこれからも入試やカリキュラムを常に見直していく考えです。さらに、学生一人ひとりに対して入試の様子や入学後の追跡調査を行っており、後期入試を推薦入試に変更したことによる影響を調査しています。医学を学ぶモチベーションが高く、結果的に多様性豊かで良い学生が集まってくることを期待しています。
入試やそのための受験勉強は、ある期間の中で必要な能力を身につける訓練のためにあります。大阪大学医学部の学生は入学後も学問への対応力が高い学生が多いように思います。入学後は、学問に取り組む姿勢や、大学で学ぶにあたって必要な考える力、思考力、論理力などを基礎医学などの講義を通して向上させることを目指して教育しています。また、医師になる上で、瞬時に判断する力、絶えず考える力を養う必要があります。大阪大学医学部では5年ほど前から講義ごとの試験を重視しており、卒業試験は行なっておりません。細かく試験を行うことで知識の定着を図っていますが、全体的な知識を持つことがおろそかになると、国家試験の際に不利になります。国家試験のことも考えて、卒業試験の代わりにアドバンスト・オスキーや総合試験を課しています。これからも改革や改良を学生の実態を見ながら行なっていきます。
Q2.先生ご自身のことについてお聞かせください。
私は奈良県の出身です。高校は奈良女子大学附属高校でした。当時は受験の環境も異なり、東大寺を滑り止めにして奈良女子大附属へと入学する時代でした。また、学生運動が盛んだったこともあり、高校時代は2ヶ月ほど授業がありませんでした。授業がない間、色々と自分自身について考え、考えていることを論理的に説明することの重要性を痛感しました。あの頃の経験は医師であり、研究者である今の私にとって、とても重要なことであったと思います。
医師を目指したきっかけは父が大阪大学医学部で医師をしていたことでした。父の姿を見て、自然と医師を志すようになりました。父は標本やマウスなどを家に持ち帰ってきて研究をしていました。父の影響で大阪大学医学部を目指しましたが、現役の時は受験に失敗しました。浪人時代は京都の予備校に通い、奈良から京都まで電車で通っていました。高校時代から理由なく他人に指示されることが嫌いでした。クラブ活動なども三日でやめてしまうような生徒でしたが、大学入学後はたくさんの良い先生に恵まれ、多くのことを学ぶことができました。医学を最初に面白いと思ったきっかけは、薬理学の教授の下で英語の医学書を読んだことでした。研究にも興味がありましたが、当時の生化学の基礎研究は生命を感じさせるようなものではなく、興味が湧きませんでした。医学部卒業後、臨床講座の大学院に入りましたが、その指導教員から微生物学研究所を紹介され、嫌々ながら訪れた研究所で恩師となる先生に出会うことができました。先生は寛大で厳しく、私は先生に出会えたことで、その後の将来が開けたのだと思っています。先生は父と大学時代の同級生だったのですが、出会った頃はお互いにそれを知らず、しがらみもありませんでした。先生の研究室で生命を感じさせる研究にはじめて出会いました。その研究室はとても活気があり、現在多くの大学で教授をしている人を多く輩出しました。
研究者として、科学的な視点を持って、論理的に、人工知能にはできないようなクリエイティブな研究を行っていきたいと考えています。日本社会ではどうしても均一性が重要視され、豊かな発想力を育むことが難しい環境です。現在は残念ながら、アメリカの方が素晴らしい発想力を持った研究者が多い印象です。また、これは私の経験ですが、研究者には誰にも、寝食を忘れて研究に没頭しなければならない時期があるように思います。1980年代の後半は私も午前2時に帰宅して午前6時に出勤する生活を送っていました。要領を掴むまでは努力が必要でしたし、熱中していて、辛いとも思いませんでした。アメリカに留学するまでは独りよがりで喧嘩してばかりの研究者でしたが、留学を通して多様な価値観に触れたことで考え方が変わった後は共同研究などにも声がかかるようになり、100名以上の研究者と共同研究をして実績を上げることができました。今後も研究に邁進するとともに、クリエイティブな研究を論理的に行うことのできる人材、ポテンシャルのある才能豊かな人材を育成していきたいと考えています。
Q3.医学研究者や医師を目指し、大阪大学医学部へ入学することを考えている方々へのメッセージをお願いいたします。
医学研究者や医師を目指すには生命の不思議に対する素朴な好奇心が大切です。医学・生物学は奥が深く、まだまだ謎だらけです。人類はまだ、ヒトの生命活動の仕組みを十分解明できていません。誰にでも、大発見のチャンスがあると思います。
科学的な姿勢も必要です。科学とは、実験や調査をして証明する学問です。興味を持った生命の不思議の仕組みをどのように証明するのかを考えて、実行します。医師も科学者であることを認識すべきです。
自らの主張を他の人に分からせることも重要です。日本人は一般に論理的思考と、それに基づく説明が苦手です。感情的、情緒的になってはいけません。議論は、相手を打ち負かすことが目的ではなく、相手の主張を理解した上で、さらに優れたものを創造する作業であることを認識すべきです。
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学歴・職歴
昭和55年 3月25日 大阪大学医学部卒業
昭和55年 4月1日 大阪大学医学部大学院医学研究科博士課程 入学
昭和59年 3月24日 大阪大学医学部大学院医学研究科博士課程修了(医学博士取得)
昭和59年 4月1日 大阪大学細胞工学センター研究生
昭和59年 11月16日 大阪大学細胞工学センター 助手
昭和63年 12月 - 平成2年 9月 文部省長期在外研究員
カリフォルニア大学サンフランシスコ校 医学部 生化学部門 留学
平成4年 8月16日 大阪大学細胞生体工学センター 助教授
平成10年 7月1日 大阪大学医学部 教授 遺伝子治療学
平成11年 4月1日 大阪大学大学院医学系研究科 教授 遺伝子治療学
現在に至る
平成25年4月1日~27年3月31日 大阪大学大学院医学系研究科 研究科長・医学部長
平成29年4月1日~ 大阪大学大学院医学系研究科 研究科長・医学部長
所属学会
日本癌学会、日本分子生物学会、日本遺伝子細胞治療学会、アメリカ遺伝子細胞治療学会, 欧州遺伝子細胞治療学会
役職
日本遺伝子細胞治療学会理事長(2009年~) 日本癌学会評議員(2009年~)アメリカ遺伝子細胞治療学会国際委員会委員(2012年~) Molecular Therapy (Editorial board 1999年~)、Journal of Gene Medicine (Associate editor 2000年~)、JAMA Oncology (International advisory board 2015年~), Cancer Science (Associate editor 2016年~)
審議会委員
内閣府 再生医療の社会還元加速プロジェクトタスクフォース委員(平成19~24年)、厚生労働省 厚生科学審議会専門委員(平成13年~24年)等
受賞歴
平成8年 日本心脈管作働物質学会賞
平成9年 London Life Award in Medical Research
平成15年 第3回バイオビジネスコンペ優秀賞
平成15年 文部科学大臣賞「産官学連携推進功労者」