秋田大学医学部長・医学系研究科長 尾野恭一先生
Q1.秋田大学医学部の特徴についてお聞かせください。
秋田大学医学部は昭和45年に我が国における戦後初の医学部として創設されました。県民の強い熱意が原動力となって国を動かし、旧県立中央病院を国に移管して医学部付属病院とし、医学部設立に至ったと聞いています。ですから、現在でも秋田大学医学部は秋田県の地域医療と密接につながっています。地域医療の最後の砦として地域住民の命を守り、最先端の医学研究を推進し、そして、これら臨床と研究の担い手と成る医師を育てることが、医学部に課せられた最大のミッションです。厚生労働省の統計予測では、今のままの医学部定員数を維持すれば、2025年頃には医師の需給が逆転すると言われています。確かに全国的には医師の数は増えていますが、偏在の問題は大きく、秋田県ではまだまだ医師が足りないのが現状です。また、秋田県や岩手県などの北東北地方は一県あたりの面積が非常に大きく、人口あたりの医師の数が全国平均レベルであっても、広い面積全体をカバーできないといった問題も抱えています。さらには、豪雪地帯であることから、冬には孤立してしまう集落もあり、過疎地、僻地の医療をどのように担っていくのかはこれからも大きな課題であろうと思います。インターネットやAIの発達により、このような問題を多少なりとも緩和することは可能かもしれませんが、一方で医療は医師と患者との直接のコミュニケーションが重要であり、人と人との会話がなくてはならないものです。結果が同じであっても、機械が診断するのと人が診断するのでは与える印象に大きな違いがあることは明白です。結局、誰かがやらざるを得ません。関連病院や地域の医療関係者とも連携を取りながら、問題を解決していきたいと考えています。
Q2.秋田大学医学部の教育に関する特徴をお聞かせください。
学生を大切にすること、若手の医師、医学研究者を育てることは秋田大学の研究、臨床、教育の各分野において非常に重要です。今の医学部における教育は、私が学生の頃とは異なり、非常に膨大な情報を処理することが求められます。最低限の知識は覚えなければなりませんが、その後は丸暗記ではとても対応しきれません。情報を正しく処理する力、問題を解決する力を養成することが求められています。
教育では特に臨床教育に力を入れています。入学後の早い時期から臨床に触れるようにし、英語での医療面接の実習も取り入れるなど、学生の医学履修へのモチベーションを高めるよう工夫しています。また、全国の大学に先駆けてAdvanced OSCEという臨床技能評価を卒業試験に導入し、医学部の教員及び事務職員を合わせ総力あげて実施しています。これは、現在全国的な制度となりつつあるpcc-OSCE(ポストクリニカルクラークシップOSCE)の先駆けと言える実技評価システムで、毎年全国の医学部、医科大学から見学に訪れています。
学生への支援も充実化を図っており、学業生活支援ワーキンググループが中心となって、学業や生活に問題を抱える学生や、留年してしまった学生に対して、メンターを配置し個別に面談を行うなどの対応を取っています。最近の学生は特に、悩みを自分の中に抱え込む傾向があり丁寧なサポートが重要であると考えています。
国家試験に関しても、保護者からなる後援会の支援をいただきながら、国試対策の教員を配置して模擬試験を行うなど、細やかなサポートを行っています。また、進級試験も客観試験問題による統一試験方式を導入することで、学生の学力を客観的に評価し、早めに学力向上の対策を講じる体制を整えています。
卒業後の研修制度に関しては、大学、県、関連施設が連携して対応しています。初期研修中は一般的な症例に数多く触れることが重要ですから、研修医が数多くの臨床機会が確保できるようにしています。その後の後期研修では、専門医資格の取得など、一人一人のキャリアパスの形成に配慮しながらも、医師の不足している地域に医師を数多く配置したい県の意向なども踏まえながら、本人と大学、県の担当者が話し合って進路を決める制度を整えています。推薦入試で入学したからといって、本人の意思を無視して義務的に進路を押し付けるのではなく、本人の希望も受け入れた上で、自主性や主体性を持って地域のために働いてもらえるようにと考えています。
Q3.先生ご自身のことについてお聞かせください。
私は鹿児島県の出身です。生まれは福岡県ですが、小学校に上がる前から鹿児島に移り住み、高校までは鹿児島で過ごしました。高校は鹿児島県立錦江湾高校に進学しました。当時は学区制度が厳しく、鹿児島市に住んでいなかった私は自由に高校を選んで入学することができませんでした。錦江湾高校はその当時新しくできた全県一学区制の高校で、私は四期生として入学しました。全県一学区制の高校でしたから、同級生には屋久島や種子島等の離島出身の生徒もおり、彼らの方言が全くわからないなど、とても面白い経験をしたことを今でも覚えています。高校時代は敷地内にあった寮で生活していましたので、とても勉強させられました。そのおかげもあって、九州大学医学部に現役で合格することができました。
医学部は漠然と目指して入学しましたが、授業を聞くうちに面白いと思うようになり、医学の勉強は非常に楽しかったです。研究の道に進んだのは卒業してしばらく経ってからのことで、六年生の頃はどの診療科に進んで臨床医になるかで非常に迷っていました。なかでも、救急医療に対するあこがれは強かったです。結局、救急医療に携わるなら麻酔科に入ったらどうかとアドバイスを受けて麻酔科の臨床医になりました。卒業して3、4年間は麻酔科医として手術室にこもりきりで仕事をしていましたが、ある時教授からそろそろ学位を取りなさいと言われ、決して本意ではなかったのですが、一時期臨床を離れることにしました。それが基礎医学研究者へ転身するきっかけになりました。どうせ研究やるなら好きな心臓のことをやりたいと思い、生理学の野間昭典先生の研究室で心臓電気生理学の勉強を始めたのですが、思ったより研究が面白く、夢中になって徹夜で研究を続ける生活を送るようになりました。その後、ドイツに留学する機会にも恵まれ、九州大学医学部に助手として迎えて頂いたのを機に、完全に基礎医学研究者になりました。ドイツに留学したのは1988年からの2年間でしたが、留学中には東西ドイツの統一などの大きな出来事を現地で体験できましたし、研究所でも親切にしていただき、公私に充実した日々を送ることができました。
決して臨床が嫌いだったわけではなく、むしろ卒業後の数年間は毎日の仕事がとても楽しかったです。あの時麻酔科の教授から「しばらく研究しなさい」と言われなければ、たぶんそのまま臨床を続けていただろうと思います。また、短い期間ではありますが臨床での経験が、私自身の研究へのモチベーションにつながっていると思います。
秋田に来たのは1996年。学会や研究会などで秋田大学の薬理学の教授と知り合い、助教授として迎えていただきました。福岡から秋田へと移る時にはすでに家族もおりましたので、反対されましたが、一家全員で秋田へと移り住みました。既に20年以上経過し、すっかり北国の人間になっています。秋田では大学と県民の皆さんとの距離が近く、秋田大学に対する期待の大きさを日々感じています。
Q4.秋田大学医学部を目指す受験生にメッセージをお願いします。
一緒に日本の医療を支える気概のある学生を求めます。
これからの時代に医師として活躍する上では、覚悟が必要になるだろうと思います。医療の多様化・高度化、超高齢化社会、地域医療問題など、医師をとりまく環境は大きく変化し、社会的な期待と責任はますます大きくなっています。医学や医療の進歩はめざましく、自分の専門性を高め、維持し、新しい分野を開拓していくには日々努力を続けなければなりません。医師や医学研究者は非常にやりがいのある仕事ですが、競争を続け、責任を持ち続ける覚悟を持って入学してきてほしいと思っています。
関連リンク 秋田大学ホームページ
学歴
昭和58年 3月 九州大学医学部医学科 卒業
学位・免許
昭和58年 5月 医師免許
平成 2年 2月 医学博士(九州大学)
現職
秋田大学大学院医学系研究科医学専攻細胞生理学講座 教授
職歴:
昭和58年 6月 1日 九州大学医学部附属病院 医員(研修医)
昭和60年 6月 1日 九州大学医学部附属病院 医員
昭和61年 2月 1日 九州大学医学部 助手
平成 7年 2月16日 九州大学医学部 講師
平成 8年 4月 1日 秋田大学医学部 助教授
平成19年 4月 1日 秋田大学医学部 准教授
平成19年 8月 1日 秋田大学医学部 教授
平成21年 4月 1日 秋田大学大学院医学系研究科 教授
平成22年 7月16日 秋田大学バイオサイエンス教育・研究センター長(兼務)
(平成28年3月31日まで)
平成25年 4月 1日 秋田大学教育研究評議会評議員(兼務)
平成28年 4月 1日 秋田大学学長補佐(知的財産・医理工連携担当)(兼務)
専門
生理学(電気生理学、心臓循環生理学、筋生理学)
研究分野
心臓血管系の電気生理学、不整脈に関する基礎的研究
所属学会
日本生理学会(評議員)、日本不整脈心電学会、日本医学教育学会、日本麻酔科学会