福井大学医学部長 内木宏延先生
Q1.福井大学医学部の特徴についてお聞かせください。
福井大学医学部ではこの度、新しい理念を策定しました。「愛と医術で人と社会を健やかに」という新しい理念を掲げることによって、私たち自身の言葉で、私たちの全ての活動、未来に向かう決意を表現したいと考えています。医学教育改革は、日本のどの医学部も直面している喫緊の課題です。福井大学医学部も国際認証を取得するための準備を進めていますが、その過程を通じて私たちのミッションや立ち位置を見つめ直すいい機会になりました。6年間の医学教育を通じて医学生が習得するべき学習成果、卒業時に身につける能力を設定し、その実現に向けてカリキュラムを編成していくことが必要になりますが、その根底をなす理念、学生、教員、職員などの構成員の誰もが知っている短く口ずさみやすいモットーが福井大学医学部には欠けていることに気づきました。あまり難しい言葉を使わずに端的に表現できる言葉を意識しました。この理念からスタートして全ての教育活動や研究活動が実現できればと考えています。
冒頭の「愛」という言葉には「真理を探究する知への愛」と「人命を尊重し人間に共感する人への愛」という二重の意味を込めています。これらの愛は車の両輪のように医学を発展させてきた原動力と言えます。「知への愛」は最先端の医術を開拓し、二つの「愛」と「医術」が結びつく事により「人と社会を健やかに」することが出来ます。「社会」には幅広い意味があり、私たちの立ち位置として、「地域社会」など、いろいろな意味を込めることが出来ます。
この理念は福井県の医療史とも深い関わりがあります。「人命を尊重し人間に共感する人への愛」、それは病に伏していようがなかろうが、日常の生活を営む人々のために自らの知識と知恵を捧げようと志す、徹底した無我の愛です。これは福井藩蘭方医の笠原白翁をイメージしたものです。笠原白翁は幕末まで死病として恐れられた天然痘の流行を食い止めるため、既存の医学や因習に囚われることなく、常に最先端の医学を探求し続けた「知への愛」の実践者であると同時に、自らの命を賭して種痘の普及と実施に尽力し、人と社会の健康に一生を捧げた人物です。彼の名は旧福井医科大学の校歌に謳われているだけでなく、本学医学部同窓会である「白翁会」の由来にもなっています。学生にはぜひこの機会に一度白翁の辿った道に触れ、本学医学部の「理念」の意義を考えて欲しいと考えています。
また、この「理念」の意義を考える事にこそ新しい「理念」を掲げる意味があると思います。「理念」に込められた意味や意義を自分なりにかみ砕いて考える事を福井大学医学部の構成員には求めています。「開かれた問い」としての理念に粘り強く臨み、あくまでも「医術」という実践の中でそれを充たしていこうという不断の営みこそが、最終的に「愛と医術で人と社会を健やかに」できると考えています。
Q2.先生ご自身のことについてお聞かせください。
私は両親の出身が岐阜県中津川市であったことで、生まれは岐阜県ですが、その後は父の転勤の関係で引っ越しが多く、中学生から浪人生までの間は東京で暮らしました。中学は世田谷区の砧中学校で、高校は都立青山高校に進学しました。高校時代は文学や芸術に興味があり、京都に憧れを持つ少年でした。文学や芸術の道に進むことも考えましたが、社会に貢献できる職業に就きたいと考え、実学でありながら人間存在について深く考えることのできる医学部を目指しました。現役の時の受験では東京大学を受験しましたが、うまくいかず、浪人することになりました。一浪の末、京都大学医学部に進学することになりますが、進学できたのは河合塾駒場校での勉強が大きかったと思います。周りが東大への進学を目指す中で勉強できたことは非常に良かったと思います。また、当時の河合塾駒場校には東大などの博士課程に所属している若手の講師が多く、学問に非常に熱心に取り組む優秀な学者の卵に教わることが出来たことで、私も学問に興味を持つことが出来たのだと思います。
私が京都大学医学部に進学した時代はまだ、教養課程が二年間行われる時代でしたので、二年間は今の医学部生ほど忙しくはなく、読書をしたり京都の伝統文化に触れたりと非常に良い経験ができました。京都大学は国立大学の中でも学生の自主性を重視する大学で、勉強は基本的に自分で教科書を読んで行なっていました。その後は病理の道へと進みましたが、理由は研究と臨床のどちらも行うことができるからでした。基礎医学の要素も兼ねつつ、臨床とも関わっていられる分野を専攻しました。
当時は日本がまだ経済成長の最中にあり、将来に希望を持って生きていける時代でした。現代は経済が停滞し、医師が余るかもしれないと言われています。そんな時代に医学部に入学してきた学生にどのように語りかければ彼らの心に響くのかを考えながら指導にあたっています。医学教育の過密化とともに、社会全体としても不安定で大人にも余裕がない現代社会で、学生を教育することには難しさも感じています。
Q3.福井大学医学部を目指す受験生にメッセージをお願いいたします。
医師の一生は「愛と医術で人と社会を健やかに」することに捧げるべきものです。この言葉の意味を自分なりによく考えて下さい。心身の健康に気をつけ、悔いのない受験勉強をして下さい。”山椒は小粒”という言葉がぴったりの本学に皆様を迎えるのを楽しみにしています。
関連リンク 福井大学ホームページ
学歴
昭和60年3月 京都大学医学部卒業
職歴
昭和60年6月 京都大学結核胸部疾患研究所附属病院医員(研修医),医員
平成2年6月 福井医科大学医学部(病理学(2),現 分子病理学)助手
平成4年6月 福井医科大学医学部講師
平成7年6月 福井医科大学医学部助教授
平成10年6月 福井医科大学医学部教授
平成15年10月 福井大学医学部教授(大学統合による名称変更)
平成15年10月 福井大学医学部附属病院病理部長(~平成17年11月)
平成15年11月 福井大学医学部副学部長(~平成19年3月)
平成16年4月 福井大学教育研究評議会評議員(~平成28年3月)
平成19年4月 福井大学学長特別補佐(~平成28年3月)
平成23年5月 福井大学医学部附属先進イメージング教育研究センター長
(~平成25年3月)
平成25年4月 福井大学医学部副学部長(~平成28年3月)
平成28年4月 福井大学医学部長
学位・免許・資格等
昭和60年5月 医師免許取得
平成2年11月 死体解剖の適格者と認定(病理解剖)
平成3年6月 京都大学医学博士
平成7年8月 認定病理医試験合格
平成18年4月 病理専門医研修指導医認定
専門分野
病理学,アミロイドーシス,オートプシー・イメージング