岐阜大学医学部長 湊口信也先生
Q1.岐阜大学医学部の特徴についてお聞かせください。
岐阜大学医学部は岐阜県下唯一の医学部であり、岐阜県の医療を担う人材を多く輩出しています。また国立大学の使命として、地域の医療を担うことと共に、研究医の育成が挙げられると思います。岐阜大学医学部においても、研究医の養成を目的としたコースやカリキュラムを設けています。医学部在学中と卒業後の研修期間を合わせた九年間の期間内に大学の研究室で集中的に研究を行う期間を用意しており、学生のニーズや研究の進度に合わせてフレキシブルに対応できる体制を整えています。さらに、地域医療を担う医師の養成を主眼とした岐阜県からの経済的なサポートも充実しており、入学金や授業料、奨学金の支援など、集中して勉強や研究に打ち込むことのできる環境が整えられています。
国家試験については、昨今の出題形式の変更や国家試験の難易度の変化などに応じ、現在試験対策を検討しています。今年から卒業試験の出題形式を国家試験の出題形式にほぼ統一しました。さらに、現在医学部内に国家試験対策の部会を設置し、対応を協議中です。合格率全国トップテンへの復帰を目指し、様々な対策を講じていきたいと考えています。
入学試験に関しては、以前は後期試験に受験生が殺到し、しばらくは倍率が非常に高くなっていました。その後、二段階選抜制度を導入し、現在の入試方式へと変更しましたが、多様な学生を採用したいという思いは変わりません。また、地域枠での入試も積極的に行なっています。岐阜県の医療を担う人材を育てるためにも地域枠は非常に重要度が増してきています。一般入試で入学した学生に対しても、なるべく岐阜県に残って地域医療に貢献してもらえるように、適宜指導を行なっています。
Q2.岐阜大学医学部の教育に関する特徴をお聞かせください。
岐阜大学医学部としても、全国の他の医学部と同様に国際認証への対応を行なっています。全国に先駆けて国際認証を受審するなど、順調に新しいカリキュラムへの移行を進めています。医学の中でも基礎的な学問である解剖学、病理学、生化学、生理学、薬理学などはどれも医学の根幹をなす学問であり、非常に重要ではありますが、臨床実習の時間を十分に確保しなければならず、やむなく講義時間が縮小されています。その分、学生には臨床実習の間も、講義で習った基礎医学のことを意識しながらの実習に取り組んでほしいと考えています。また、講義時間の見直しも行いました。90分では長すぎて学生の集中力を維持できないこともあり、講義によっては60分の講義時間に変更しています。この辺りの改革は、今までの常識にとらわれることなく、時代に合わせて改めていくことが必要であると思っています。
岐阜大学医学部の教育に関する一番の特徴は、23年間行なっているテュトーリアル教育です。以前から少人数教育には力を入れており、学生が自分で考える力を養うことを大きな目標としています。医学の発達は非常に速く、以前と比べて覚えるべきこともますます増えてきています。インターネットの発達によって、知りたいことはすぐに調べられる時代ですから、テュトーリアル形式の授業は講義形式ではなく、学生が主体となって行うアクティブラーニングが行われています。このような形式のコアータイムを週に2回ほど取り入れながら、必要な基本的知識を身につけるべく、講義形式の授業も行なっています。
Q3.先生ご自身のことについてお聞かせください。
私は和歌山県新宮市の出身です。医師になるきっかけは小学生の頃に母が十二指腸潰瘍で入院したことでした。今では効果的な薬が開発されていますが、当時は十二指腸潰瘍といえば大変な病気で、母も1ヶ月ほど入院を余儀なくされました。私はまだ小学校低学年でしたから、非常に寂しい思いをしました。同時に、母を助けてくれる医師という存在に強く憧れました。
地元の県立新宮高校に進学し、一年間の浪人を経て岐阜大学医学部に入学しました。浪人時代は、兄が東京の大学に進学していたこともあって私も上京し、御茶ノ水の駿台予備校に通って勉強しました。駿台予備校の寮で暮らしましたが、六畳ほどの部屋に四人で生活し、楽しみは朝と晩のご飯のみ、寝るか勉強するかの生活でした。その後、国立二期校であった岐阜大学医学部を受験した際は、倍率が非常に高く不安ではありましたが、無事合格して入学することができました。当時は社会の雰囲気として物理や化学などが非常に注目を浴びていた時代で、私自身も同じ和歌山県出身のノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹博士などには大変な憧れを持っていました。現代よりも、科学の力への期待が大きかったように思います。
岐阜大学医学部を卒業後、第二内科に入局し、心臓系の疾患を主に扱うようになったのは、恩師との出会いがあったからでした。恩師は非常に面倒見が良く、様々なことを教えていただきました。30代半ばでオーストラリアのメルボルン大学に留学することになりますが、これは私が強く希望して実現した留学でした。当時の私はカテコラミンという物質を研究していましたが、研究とは言っても臨床ばかりが忙しく、なかなか実験などを行うことができないでいました。そんな折、オーストラリアから研究者が京都に来日することを知り、会いに行きました。彼は大変好意的で、留学したいなら歓迎すると言ってくれました。オーストラリアはイギリス流の研究手法がメジャーで、泥臭い地味な研究も厭わずに行う文化があります。これは、最先端を追い求めるアメリカ流の手法とは異なった一面です。留学の経験は得るものが非常に大きいと思います。たとえ短期間であっても、機会があれば是非留学されることをお勧めします。
Q4.岐阜大学医学部を目指す受験生にメッセージをお願いします。
私は、岩村藩(現在の岐阜県恵那市岩村町とその周辺)出身で幕末の儒学者である、佐藤一斉の精神が非常に重要であると考えています。佐藤はその著書である「言志四録」のなかで、三学戒「少にして(若くして)学べば壮にして成すあり、壮にして学べば老にして衰えず、老にして学べば死しても朽ちず」とあらわし、生涯学び続けていくことの重要性を述べています。医学は日進月歩で急速な進歩を遂げている学問ですから、医療に従事するものは生涯にわたる学習を継続していく覚悟が必要です。また「少にして学べば壮にして成すあり」の「成すあり」とは、社会貢献のことです。医師は社会に貢献することが重要であり、そのためにも、自分が入学した大学のある場所を縁のあった土地と捉えて、そこに骨を埋める覚悟で頑張って欲しいと思っています。医師になって社会貢献したいというモチベーションのある受験生の入学を期待しています。
関連リンク 岐阜大学ホームページ
学歴
昭和53年岐阜大学医学部医学科卒
昭和58年岐阜大学大学院研究科博士課程修了
職歴
昭和53年4月 岐阜大学大学院医学研究科入学(内科学第二)
昭和55年6月 揖斐病院内科勤務
昭和58年4月 岐阜大学医学部付属病院医員(第二内科)
昭和61年4月 岐阜大学医学部付属病院助手 (第二内科)
昭和63年4月 岐阜大学医学部助手(第二内科)
昭和64年5月 オーストラリア、メルボルン大学医学部(Department of Pharmacology)留学
平成2年9月 岐阜大学医学部助手復職(第二内科)
平成6年4月 岐阜大学医学部併任講師(第二内科)(外来医長)
平成6年8月 岐阜大学医学部講師(第二内科)(病棟医長)
平成9年6月 岐阜大学医学部助教授(第二内科)(医局長)
平成14年4月 岐阜大学大学院医学系研究科 循環病態学/呼吸病態学(第二内科)助教授
平成19年5月 岐阜大学大学院医学系研究科 循環病態学/呼吸病態学(第二内科)教授
平成24年4月 岐阜大学大学院医学系研究科副研究科長、副医学部長
平成28年4月 岐阜大学大学院医学系研究科長、医学部長
所属学会
日本内科学会(評議員、内科認定医、内科専門医)
日本循環器学会(理事、評議員、循環器専門医)
日本心不全学会(理事、評議員)
日本心臓リハビリテーション学会(理事、評議員、指導士)
日本心臓病学会(評議員、FJCC)
日本高血圧学会(評議員、専門医)
日本動脈硬化学会(評議員)
日本心血管作動物質学会(評議員)
学会及び社会における活動
・第121回日本循環器学会東海地方会会長(平成15年6月)
・第209回日本内科学会東海地方会会長(平成21年10月)
・日本循環器学会第138回東海・第123回北陸合同地方会会長(平成23年11月)
・第1回日本心臓リハビリテーション学会東海地方会会長(平成27年10月)
・岐阜市社会福祉審議会委員/岐阜県社会福祉審議会委員 (平成18年11月から)
・厚生労働省医政局研究開発振興課 「ヒト幹細胞臨床研究に関する審査委員会」委員
(平成19年5月29日から)
・内閣府 社会還元加速プロジェクト「失われた人体機能を再生する医療の実現」のタスクフォース
(平成19年12月25日から平成24年3月31日まで)
・文部科学省 「再生医療の実現化ハイウェイ」課題運営委員会外部有識者委員(平成24年3月1日から)
・平成29年5月: 第3回日本心筋症研究会 会長
・平成29年7月: 第23回日本心臓リハビリテーション学会 会長