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和歌山県立医科大学医学部長 村垣泰光先生

医学部進路の決め方

Q1.和歌山県立医科大学の特徴についてお聞かせください。

和歌山県立医科大学では、建学時から華岡青洲の思想に基づいた教育理念が掲げられています。華岡青洲は世界初の全身麻酔を行ったことで知られる紀州が生んだ偉人であり、校章も華岡青洲が用いた曼陀羅華をモチーフにしています。華岡青洲の思想に基づき、専門的知識や学術の教授研究とともに、豊かな人間性と高邁な倫理観に富む資質の高い人材育成を目指しています。
学生に関しては、県内の受験生が三、四割おり、それ以外は県外からの入学生です。地元出身の学生が一定程度入学してくる背景には、地域枠に関して二つの入試形態を取っていることがあると思います。地域枠の一つを県内の受験生に絞った入試形態としていることで、多くの県内出身者を確保できています。また、設立以来、70年を超える歴史があり、和歌山県に深く根付いた大学であることも、県内の受験生を多く集める理由になっていると考えています。
和歌山県との連携も密に行っています。和歌山県には和歌山県立の総合病院や和歌山市立病院がなく、和歌山県立医科大学附属病院が県立病院、市立病院の機能も兼ね備えています。また、面積の広い和歌山県の地域医療も一手に担っており、県や県民の皆さんが大きな期待を和歌山県立医科大学に持っていただいていることを感じています。
現在、和歌山県立医科大学では、医学部と保健看護学部を設けていますが、3年後に薬学部を新設する予定です。医学部の定員も60名であった時代が長く続いていましたが、医師不足に対応するため100名に増えています。医療に携わる人材を多く養成することで、和歌山県の地域医療に大きく貢献したいと考えています。
医学教育分野別評価への対応に関しては、2年前に審査を受けて高い評価を受けました。教育に関して非常に熱心に取り組む伝統があり、多くの改革を行ったことが高い評価につながったと考えています。コアカリキュラムへの対応に関しても、90分だった講義時間を70分に圧縮して、空いた時間を臨床実習に充てるようなカリキュラムの改革を行いました。低学年のうちから介護施設や老健施設への早期体験実習を行うことで医師としてのマインドを養う教育に重点をおいています。大学一年時は教養課程の講義が多く、医学部に入学したのに医学が勉強できないという気持ちを持ってしまってモチベーションが下がってしまう学生がいることも現実です。高いモチベーションを保って勉強してもらうためにも、早い段階での実習を取り入れています。
講義時間の減少に伴って効率よく学生に指導を行うために、講義にも新しい技術を積極的に取り入れています。顕微鏡の画像をコンピュータに取り込んでスライドで見せることで、学生が顕微鏡で各々観察するよりも理解しやすい授業を行っている講義もあります。研究医志望の学生に対しても、研究室に勧誘して早い段階からの指導を心がけています。基礎医学教室へ進んでくれる学生を増やすための取り組みはこれからの課題だと認識しています。
学生支援についても、成績や進級、卒業等に関して悩んでいる学生に対し、個別にアドバイスをしてサポートする体制を整えています。
医師国家試験への対応については、国家試験の形式に準じた卒業試験の実施や、グループ別自習室の提供等学習環境を充実させることにより、合格率に関しては全国的に高い水準を維持しており、教育内容には自信を持っています。

和歌山県立医科大学医学部

Q2.先生ご自身のことについてもお聞かせください。

私が受験生だった頃は一期校、二期校で受験する時代でした。当時は和歌山県立医科大学の倍率は10倍以上で、今よりも難しかったと思います。医師を目指したきっかけは、学校の健康診断で指摘され、病院で精密検査を受ける機会が何度かあったことがきっかけであったと思います。当時は電子工学や物理学も盛んに研究されていましたので、そちらの分野にも興味がありましたが、悩んだ結果高校三年生の時に医学部への進学を決断しました。和歌山県の県立高校出身で、塾などもない時代でしたので、参考書をたくさん買って自分で勉強していました。模試だけは大阪や京都へ受けにいった記憶があります。
現役で受験した時は県外の大学に行きたいという思いがあり、受験したのですが、試験当日に熱を出してしまい、浪人することになりました。浪人時代は大阪の予備校の医進コースで勉強しました。一年浪人した結果、やはり地元の大学が良いと思い、和歌山県立医科大学に進学しました。
大学進学後は空手部に所属して、6年間熱心にクラブ活動に励みました。大変なクラブ活動でしたが、当時は非常に熱心に取り組んでいました。病理の道へ進んだのは卒業後に大学院に進学して病理を選んだことがきっかけでした。始めは外科に行きたかったのですが、当時腰痛を抱えていて体力に不安があり、内科に進むことを考えました。しかし、内科に進むと決めた後に病理の道もあるのではないかと考え直し、研修医にはならずに大学院へ進学することに決めました。
その後、アメリカへと留学しましたが、留学は私にとって非常に良い経験になっています。非常に自由な環境の中で研究に打ち込むことができ、あまり干渉されることもなく好きなように自分のやりたい研究を進めることができました。結果を出さなければならないというプレッシャーはありましたが、非常に充実した日々を過ごすことができ、楽しかったことを覚えています。研究もうまく進み、アメリカでの指導教官から大学に残らないかと誘われましたが、ビザの関係もあって一度帰国しなければならず、帰国した後に再留学して研究を行いました。その後は和歌山県立医科大学に赴任して、研究や教育を行っています。

和歌山県立医科大学医学部

Q3.和歌山県立医科大学を目指す受験生にメッセージをお願いします。

医師になるにあたって、自分が医師として活躍する自信があり、医師として働く適性や覚悟があるのかどうかは、医学部を目指す前に自分自身でよく考えて欲しいと思っています。医学部は勉強も大変な学部で、医師になった後も決して楽ではありません。医師として働くことをしっかり考え、理解した後に是非受験して欲しいと思います。

関連リンク 和歌山県立医科大学ホームページ

むらかきやすてる
村垣泰光先生 略歴

略歴
昭和57年3月 京都大学医学部医学科 卒業

主たる職歴
昭和56年 3月 和歌山県立医科大学卒業
昭和60年 3月 和歌山県立医科大学大学院博士課程修了
      4月 和歌山県立医科大学 助手(病理学第1)
昭和62年10月 米国ハーバード大学医学部解剖細胞学教室留学(ポスドク)
                              (平成2年9月まで)
平成 3年 4月 和歌山県立医科大学 講師(病理学第1)
平成 6年 7月 米国ハーバード大学医学部細胞生物学教室留学(客員助教授)
                              (平成8年6月まで)
平成 8年11月 和歌山県立医科大学 助教授(病理学第1)
平成17年 6月 和歌山県立医科大学 教授(病理学第1)
平成27年 1月 和歌山県立医科大学 教授(病理学)   ~現在

和歌山県立医科大学国際交流センター長(平成18年4月~平成22年3月)
和歌山県立医科大学学長補佐(平成20年11月~平成21年10月)
和歌山県立医科大学副医学部長(平成26年4月~平成29年3月21日)
和歌山県立医科大学医学部長(平成29年3月22日~現在)