東京女子医科大学医学部教授 唐澤久美子先生
Q1.東京女子医科大学の教育の取り組みや特徴などをお聞かせください。
東京女子医科大学は以前から医学教育に力を入れています。1990年に東京女子医科大学が日本で初めてテュートリアル教育(PBL)を導入しています。また、チームベーストラーニング(TBL)も導入して学生たちが自ら問題解決する能力を涵養しています。1学年~4学年においては「至誠と愛」の実践学修を導入し、授業や実習で学んでいることがどのように臨床と関係するのか、漠然と考えている臨床の姿が実際はどのようなものであるのかということを、様々な機会を通して実践で学ぶようにしています。チーム医療を学ぶために第1学年~第5学年では医学部・看護学部合同の学修機会を設けています。
本学は110余年にわたる女性医師教育の歴史があり、卒業生の多くがキャリアを継続する風土を持っています。女性医師が継続して医療に携わり社会貢献を果たすのが本学の目指す医学教育です。
また、本学は日本で唯一の女子医科大学という点で特徴があります。女性は総じて真面目なため、留年する学生は数人しかいません。ほとんどの学生が、6年間で卒業し、医師国家試験の合格率は例年高いと思います。
さらに、共学を卒業した女性医師と本学の卒業生を比べた場合、本学の支援が手厚いことは特徴だと思います。例えば東京女子医科大学には女性医療人キャリア形成センターがあります。私は3月までここの再研修部門長を務めていました。もともとは本学の卒業生が、育児休暇取得、ご主人の転勤などでしばらく医療現場から離れた後に、再研修を受けて現場に復帰するために設立しました。ところが他学出身の女性医師も利用可能にしたところ、8割方は他学出身の利用でした。他の大学の女性医師に対するサポートがまだまだ充実していないからだと思います。他の大学出身の優秀な女性医師が、離職してそれっきりになっているという現状がわかりました。しかしながら、本学の出身者は医者をずっと続けていて完全な離職者は実は少ない、これが本学の力だと思います。東京女子医科大学では相互扶助のネットワーク有効に機能しているのだと思います。さらに本学の病院も女性活躍推進の改革をし続けています。
もともとの本学の伝統は、女性の社会的地位を上げて社会に貢献する医師を育てるというものです。今こそ、どうやって女性医師として日本の医療界で活躍していくか、その術を本学で学びなさいと学生に伝えています。東京女子医科大学は昔から社会で活躍する女性を養成しているわけで、ただ勉強だけ教えているわけではありません。卒業した後もネットワークを利用して社会に貢献し続けなければいけないと主張していきます。今まであまり女性を全面に出していなかったのですが、むしろそこを主張して女性医師に対するマイナスのイメージを払拭していきたいと考えています。世界の医師の4割は女性で、女性にしかできない医療というのがあると思います。人を慈しむ力は男性よりも女性の方が総じて優れていると思います。女性であることを活かして良い医師になりなさいという事を教える大学が東京女子医科大学です。
ネットワークに関しては、同窓会の一般社団法人至誠会という組織があります。吉岡彌生先生が作られたのですが、最初は公益法人でした。要するに卒業して至誠会員になると、至誠会の活動に参加するだけで経営している病院や保育所の運営を通して社会貢献できるという組織です。同窓会を公益にした組織が病院を経営しているという例はあまりありません。至誠会は非常に強力な組織で、もちろん全国に支部もありますし学内でも約600人の会員がいます。
世界の医師の4割は女性なのに日本は女性医師の割合が世界の平均よりもまだまだ低いわけですが、本学と同様に近いところでは韓国梨花女子大学で医学教育が行われているように女子大学として医学教育を実践しているところも世界にあるわけです。
日本はもっと女性医師が活躍できるような社会形成を進めていくべきです。日本は男性社会が根強く、まだ女性に対する偏見もあると思います。家庭生活などを犠牲にしない限り、今は女性が男性と同じ働き方をすることはできません。しかし、今後は社会全体が考え方や働き方の仕組みを大きく変えていかないと日本は衰退してしまいます。
そういった意味では国際交流の促進も重要だと思います。特にアジアの女性の医学教育を支援し、日本国内で活躍する医師やアジアの国々に戻る医師の教育を進めていくということは大切だと考えています。日本がアジアに対して何が貢献できるのか、資金援助だけではダメで、アジアの女性が日本で教育を受けて自国に帰るような支援はとても大事だと思っています。私は以前、順天堂大学に在籍していたことがありますが、順天堂には大学院生に海外の方が多いのです。売店でもハラルフードがあるように、各種の対応を進めていました。本学にはまだそれほどムスリムの方がいませんからそのような対応はしていませんが、そのような女子学生の受け入れもしたいと思っています。私は文部科学省の委託事業で、アジア各国との原子力の平和利用を推進する活動に参加していますが、放射線治療のプロジェクトでは文科省の予算でアジアの色々な国の医療者に対する技術指導や共同研究を行っています。アジア11カ国に行き来し、医師や技術者と交流しあっています。このような活動はとても大切だと思っています。
Q2.先生ご自身のことについてお聞かせください。
私は吉祥寺の成蹊高校出身です。母が東京女子医科大学の卒業生でして、私が小学生の頃は大学の近くに住んでいました。母は小児科医として働いていましたが、当時、母は研究などで大学に出入りをしていたのでこの中央校舎が昭和43に年できた時に落成式に母に連れられてこられました。その為この辺の建物の移り変わりについては他の先生より知っているかもしれません。
母は私を東京女子医科大学に入学させたがっていました。私は最初、他の大学の経済学部に入ったのですが面白くなくて医学部に入りなおしました。母の影響などもあって医学部に入るのなら東京女子医科大学だと考えていました。放射線科や小児科の教授が母の同級生であったり、父の同級生が呼吸器内科の教授であったり、知っている先生が沢山いました。
入学後にはゴルフ部に入りました。当時のゴルフ部の顧問の先生が放射線治療の教授でした。田崎瑛生先生という素晴らしい先生で日本放射線腫瘍学会の第一回目の会長で、日本の放射線治療界の基礎を作った方でした。その先生の影響や、学生結婚だった主人も放射線治療医を選んだ影響で、切らずに治す放射線治療に興味を持ちました。
私はあまり苦労して大変という事を感じない性格なので、楽しく仕事をしてきました。そのように自分を仕向けて来たからかもしれません。家に帰らなくて済むので当直が大好きで、夜中、自由に時間を使って仕事出来る環境を楽しんでいました。仕事と家庭を両立させるために子供が生まれた後からはお手伝いさんを雇っていました。私も子供の頃お手伝いさんに育てられていましたので、母親が子供のそばに常にいなくてはいけないという考えはありませんでした。お母さんが家にいなければいけないという考え方がまずおかしいのです。それは日本社会の古い考え方です。私の娘も医者になっています。私のやり方を他人に押しつけようとは思っていませんが、女性の在り方の多様性を認めるべきだとは思います。
母校で17年間勤務した後に順天堂大学に異動しましたが、同窓生が多く一体感があり、男性は全員他学の出身者である女子医大とは少し違うカラーがありました。小川理事長がモチベーションをあげることが非常に上手でしたので、みんなで小川先生についていく風潮がありました。卒業した大学にだけ居てはわからない社会勉強をしたと感じています。
医学物理士という放射線医療の現場で医師と共に働く物理学者の制度を日本で根付かせるための活動もこのころから始めました。文部科学省のがんプロフェッショナルの養成プランの公募があった際に、当時助教として雇用していた物理学者が立教大学の博士課程を出ていた人で、そのご縁で、立教大学と順天堂大学が共同で医学物理士の養成を始めました。そこから立教大学理学部で教えるようになって放射線医学総合研究所に異動した後も客員教授として大学院生を指導していました。
さらにご縁があって、看護師のための放射線治療の本を書いてほしいという依頼があり、書いたところこの本が結構売れていろんなところから声がかかりました。兼任で千葉大学の看護学部でも教えたりしました。
放射線医学総合研究所では、世界で初めて乳癌の重粒子線治療の研究を行い、国際交流を広く行いました。放射線医療のコアカリキュラムに対応する教材を作成したり、被ばく医療のプロジェクトも兼務しました。
平成27年に、母校の東京女子医科大学に放射線腫瘍学講座主任教授として戻りました。平成30年より医学部長に就任して母校の発展のために尽力しています。
Q3.東京女子医科大学を目指す受験生に求める心構え、メッセージをお願い致します。
東京女子医科大学だからこその良さがない限り選ばれないと思いますし、この良さを伝えていくのが私の仕事だと思っています。女性活躍推進のために我々は何をしているのか、卒業後のサポートも伝えていこうと思っています。まだ男女の差別が残る日本社会で生き抜く術を身につけるために女子医大の存在は必要です。
自分の人生の目的は何か、何のために医師になるのか、家族のためだけではなく社会の役に立つという生き方がどのようなものなのか考えてください。医師の資格を取るからには受けた教育で社会に役に立つような働きをしてこそ、あなたの人生は実りあるものになりますよと伝えたいです。
医者は決して勉強が出来る事だけが大切だとは思いません。医学知識だけではない、大切な事は相手を思いやる慈しむ心です。医療の基本は心です。偏差値が高い学校に進んだからと言って良い医師になれるのではないのです。学生にも伝えていますが、高い志を持って学長や学部長、医師のリーダーを目指しなさい、あなたたちの可能性は無限にあるのだから自分の可能性を限定してはいけませんと伝えています。向上心を高く持って、何事も決してあきらめずにやり抜くという心が大切だと思います。
関連リンク 東京女子医科大学ホームページ
学歴
昭和55年 4月 東京女子医科大学医学部入学
昭和61年 3月 東京女子医科大学医学部卒業
職歴
昭和61年 5月 東京女子医科大学放射線科 研修医
平成元年 5月 東京女子医科大学放射線医学講座 助手
平成12年 3月 東京女子医科大学放射線医学講座 講師
平成14年 8月 順天堂大学医学部放射線医学講座 講師
平成17年 7月 順天堂大学医学部放射線医学講座 助教授
順天堂大学大学院医学研究科放射線医学 助教授併任
平成18年 1月 順天堂大学大学院 先端放射線治療・医学物理学講座准教授、講座責任者
平成19年 4月 順天堂大学 先任准教授
平成20年 4月 立教大学理学研究科兼任講師
平成23年 7月 独立行政法人放射線医学総合研究所 重粒子医科学センター病院 治療課第三治療室長
平成24年 4月 立教大学理学研究科 客員教授
千葉大学看護学研究科 兼任講師
平成27年 4月 東京女子医科大学放射線腫瘍学講座 主任教授
平成27年 5月 東京女子医科大学放射線腫瘍学講座 教授・講座主任(現在に至る)
平成29年 3月 学校法人東京女子医科大学評議員就任(平成30年3月まで)
平成30年 4月 学校法人東京女子医科大学医学部長就任(現在に至る)
平成30年 4月 学校法人東京女子医科大学医学部長理事就任(現在に至る)
平成30年 4月 学校法人東京女子医科大学医学部長評議員就任(現在に至る)
資格
昭和61年 5月 医師国家試験合格
平成 6年 2月 東京女子医科大学医学博士号 取得