札幌医科大学医学部長 三浦哲嗣先生
Q1.札幌医科大学が現在取り組まれている教育について教えてください。
具体的な作業としては、平成28年度改定の医学教育モデル・コア・カリキュラムを踏まえて、カリキュラムを改訂中ですが、この機会に、入学から卒業までの間に札幌医科大学としてはどのように教育を行っていくべきかを、教員の間で議論しているところです。「進取の精神と自由闊達な気風」という本学建学の精神や、国際的視野に立った医学・保健医療学の攻究、地域医療への貢献、豊かな人間性、といったキーワードを重視し、カリキュラムを含めた教育プログラムの改定を進めています。カリキュラム改定自体も大事ですが、その趣旨や目的について教員によく理解してもらえるような工夫も必要と思っています。
卒業してからのことを考えると、学生時代に、社会について一定レベルの見識やプロフェッショナルな態度を身につけるということが、非常に重要と思います。しかし、社会常識やプロフェッショナルな態度というのも時代とともに、ある程度は変化するものです。例えば私が卒業した当時は、現在のレベルから見れば、インフォームドコンセントが不十分でした。患者への説明は勿論していましたが、今ほど厳格で懇切丁寧なものではありませんでした。また、学生実習でも患者さんから正式のインフォームドコンセントを書面でとるということは稀で、年配の患者さんからは、大学病院に来ると学生が大勢並ぶ姿が不愉快であるという声もあったような時代でした。今は臨床実習での患者さんと学生との関係も改善していると思います。
そのような変化もありますが、失われているものもあります。20~年前は医学部の学生も余裕があり、入学後の1~2年は、医学以外のことを勉強するのが当然、学生時代にしかできない(医師になってからでは難しい)ことを学びなさいという風潮がありました。しかし、現在は、学生の到達目標が示されていて、要求水準が高いわけです。モデルコアカリキュラムの目標を達成することはもちろんですが、社会人としての見識やプロフェッショナルリズムを身につけてもらうためには、医学の専門科目教育だけでは不十分で、教育のうえで色々な工夫が必要であると考えていて、カリキュラム委員会だけでなく、第1~4学年の科目である「医学概論・医療総論」の担当教員と議論しています。
Q2.入学された方の地域でのサポートはどのようなものでしょうか。
医学部1年生から3年生の早い時期から、札幌市内を含めて道内各地に赴き、地域の生活や医療体制、健康課題等について、住民との交流を通して地域医療に必要な視点を身に付けるプログラムを複数用意しています。また、札幌以外の地域の医療スタッフと交流することで、都市部とは異なった地域特性や多職種連携やチーム医療を学ぶ機会をカリキュラムに組み込んでいます。地域の医療スタッフまた患者さんたちが本学学生の重要なサポーターとなっていることは間違いありません。
一般推薦枠の入学者は、最近の調査によると少なくとも7割位は北海道に残っています。北海道医療枠という入学枠は、卒後の後期研修を札幌医科大学の診療科で行うという条件のみで、道外からも学生を受け入れています。こちらの方は来年初めて卒業生が出ますので今後動向をリサーチする予定です。
卒後の初期臨床研修を終えて、本学附属病院に後期研修医として戻ってくる人数が、他大学の卒業生も含めて大体7、80人位です。このうち50人程度は、地域の基幹病院での初期研修をしていますので、地域のサポートが大きいといえると思います。北海道医療枠ができるまで、道外からの入学者が次第に増える傾向でしたが、2012年に北海道医療枠を設けてからは、道内出身者が増えています。来年から北海道医療枠の学生が卒業し始めるので、今後は、本学附属病院で後期研修を始める人数が毎年90人台になることを期待しています。
Q3.入学された生徒の方への指導で留意されている点はありますでしょうか。
最近は、学生の良識ある社会人への成長ということです。「病気を診ずして病人を診よ」という高木兼寛先生の言葉を実行するには、社会人としての良識が必須です。患者さんの人間の部分を理解し、他のメディカルスタッフとも協調して仕事をするためには、社会や他の人々の生活や人生を理解しようという姿勢が必要であると思います。学生はよく「コミュニケーションスキルをつけたい」と言いますが、他者への想像力と、自分が日々接する事務職員、警備の職員などの方々へ適切な言葉遣いをするといった日常での訓練が、コミュニケーションスキルの基本であることを繰り返し説いています。残念ながら、臨床実習ガイドラインの中に記載があるような、アンプロフェッショナルな学生の行動が問題になっていますが、そうした行動をどのように改善するのかということは大きな課題であると思っています。
医学部へ進学を目標にしている学生の皆さんには、医師がどのような職業であるのかよく調べて考えて欲しいと思います。どの職業でも実際に仕事をしてみるとそれまで予想していたのとは違うということが少なくないとは思います。しかし、なんとなく医師のイメージをもって、医学部に入った後で、進路に悩み始める学生は少なくありません。また、医学の勉強だけをすれば卒業後もうまくゆくに違いないと思っているひとは、少し認識を改める方が良いと考えています。私が最近の学生について一番不安に思う点は、彼らが社会の状況、特に自分の環境とは異なる環境や歴史の背景をもつ人々への関心が少ないということです。医師も社会の構成員ですから、これからの社会をどう考えて行くかという視点を若い時代から持つことが大切と考えます。本当に自分が得た情報や自分の判断が正しいのか、といったことを、他人との議論のなかで鍛えるというプロセスを大切にしてほしいと思います。
Q4.ご自身が、医師を目指されたきっかけや受験勉強でのエピソード、人生のターニングポイントなどについて、お聞かせ下さい。
私の父は北海道炭鉱で働くエンジニアだったのですが、母の兄弟に医師が3人いて、3人とも長く大学に勤めていました。2人は小児科医で1人内科医です。3人とも大学で研究していたのと、学生時代に片端から岩波文庫や新書を読んでいて、歴史や文学について詳しかったので、私も影響を受けて高校生のころから幾分アカデミズム志向ではあったと思います。その頃から、好んで読んでいたのが、加藤周一と桑原武夫の評論やエッセイです。お二人の書く文章が非常に明晰、論理的で、広い視野から物事を相対的に捉えるところに惹かれていたように思います。受験勉強のために読む歴史や現代国語とは、全く別な内容ですから。加藤周一の「羊の歌」がきっかけであったように記憶しています。高校は夕張北高校という今はなくなってしまった田舎の高校ですが、当時の札幌医科大学は札幌近郊の高校だけでなく、道内の小さい田舎町の高校からの学生が集まる学校でした。本当に小さな町の出身者で、大学に入る前から詩を書きためていて、自分はいつかH氏賞をとるとか言ってた同級生もいてなかなか面白かったです。
医学部に行こうと思ったのは叔父たちの影響もあるのですが、母が日赤の看護師をしていたこともあります。最後は法学部と迷っていました。岩波新書の「第二次世界大戦下のヨーロッパ」という本をたまたま読み、国際政治についての現代史が面白くて、医師ではなく、外交官を目指そうかとも迷いましたが、最終的には医学部になりました。子供のころ繰り返して中耳炎になり、聴力を失いそうになりかけたこともあったのも影響していると思います。
大学卒業後は、臨床でアメリカに留学することを考えていて、横須賀にある米国海軍医療センターで研修しました。当時は、主要診療科をローテーションする研修プログラムを行っていたのが、米国海軍医療センターと沖縄県立中部病院でした。米国海軍医療センター研修後、VQEにもパスしたので直ちに米国へと思っていたのですが、家族の問題などの事情で一旦は日本で専門医研修をしてからということにしました。しかし、当時の教授の勧めで、短期の米国留学をしたのがきっかけで循環器の基礎研究の魅力に惹かれて、南アラバマ大学に2年余り留学することになりました。帰国の時期については悩みましたが、大学1年生の法学の講義で、石川先生という北大から非常勤でこられていた先生が、「自分の親も面倒を見られない人間には子供の教育ができない」と話されたことが、以来気になっていました。石川先生は、法哲学が専門であったはずですが、法学の講義の内容も哲学的な内容が多かったように思います。子どもが3歳近くでしたし、いつまでも自分が米国で好きなようにするばかりがよい選択ではないと考えて、帰国することにしました。
Q5.札幌医科大学を目指している学生や医学部を目指している学生にメッセージをお願いいたします。
医療や医学だけでなく、人間の色々な一生などに興味を持って欲しいと思います。それらが一体どのようなものか考えてほしいですね。医療というのは社会や人間生活の一部なので、この事を踏まえた上で、自分がどのように関わりたいのか自問自答して欲しいと思います。今の学生は、少し臆病すぎるような印象がありますが、失敗か成功かを正しく判断でき、失敗から学ぶことができるという学習力があれば、色々なことへの挑戦や、試行錯誤は全て自分の糧になるはずです。
受験勉強を勝ち抜くことに価値がないとは言いませんが、本当に重要なことを勉強するための準備体操のようなものであると思います。大学のレベルで学ぶこと、例えば文学とか哲学はわからないことが多いですよね。恐らくジャーナリズムの課題もそうです。講義は「分かり易い」のが良いという風潮がありますが、理解力の低い人に分かりやすく説明するためには、省略したり、必ずしも正確とは言えないものに変質させたり、ということが起こります。大学での教育の要点は、重要だが理解が容易ではないことや解決が困難であることを、注意深く考える力を涵養することであると考えています。本来は、こうした考える力を育成することが、教育の最大の課題と考えています。
これから医学部を目指す方へ紹介したいエピソードがあります。米国の大学では、卒業式に著名な作家や実業家、学者を呼んで講演してもらうことがあります。たまたま私が見たハーバード大学の卒業式で講演していたのがハリーポッターの作者JKローリング氏でした。彼女のスピーチの要点の1つが想像力を働かせてほしいということでした。「私たちが世界を変えるために魔法は必要ではない。私たちは、良い世界を想像する力を既に自分の内に持っている。」、「もし他者には共感しないということを選択すれば、怪物を育てることになる。それは、私たち自身があからさまな悪を行わないとしても、無気力を通して悪と結託することになるのだ。」と話していました。医学部を目指す学生にも、将来、想像力と共感力をもって、社会をより良くする職業人として活躍することを期待しています。
関連リンク 札幌医科大学ホームページ
略歴
昭和55年 3月 札幌医科大学医学部医学科卒業
昭和55年 4月 在日米国海軍医療センター 研修医
昭和56年 4月 札幌医科大学医学部内科学第二講座 研究生
昭和59年 5月 南アラバマ大学医学部生理学教室 研究員
昭和61年 7月 札幌医科大学医学部内科学第二講座 研究生
昭和62年 1月 北海道立江差病院 内科医長
昭和62年 5月 札幌医科大学医学部内科学第二講座 助手
平成 4年 1月 札幌医科大学医学部内科学第二講座 講師
平成 8年12月 札幌医科大学医学部内科学第二講座 助教授
平成19年 4月 札幌医科大学医学部内科学第二講座 准教授
平成22年11月 札幌医科大学医学部内科学第二講座 教授(~平成25年3月31日)
平成24年 4月 札幌医科大学附属病院臨床研修センター長(~平成28年3月31日)
平成25年 4月 札幌医科大学医学部循環器・腎臓・代謝内分泌内科学講座(講座名改称) 教授(~現在)
平成26年 4月 札幌医科大学医学部副学部長(~平成28年3月31日)
平成28年 4月 札幌医科大学附属病院副院長(~平成30年3月31日)
平成30年 4月 札幌医科大学医学部長、大学院医学研究科長(~現在)
資格・免許
昭和55年 医師免許証取得
平成 1年 医学博士の学位授与(札幌医科大学)
賞罰
平成24年 北海道医師会賞
平成24年 北海道知事賞
平成29年 Janice Peffer 賞 (国際心臓研究学会)
その他活動
日本循環器学会(理事)、日本心不全学会(理事)、国際心臓研究学会(日本部会理事、学会本部理事)、日本内科学会(評議員)、日本循環制御学会(理事)、日本心臓病学会(評議員)、アメリカ心臓協会(Fellow)、アメリカ心臓学会(Fellow)、ヨーロッパ心臓学会(Fellow)、アメリカ生理学会、日本腎臓学会、日本糖尿病学会
一般社団法人 全国医学部長病院長会議(理事)
主たる研究分野
循環器病学(虚血性心疾患、心不全)、循環生理学