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昭和大学医学部長 小川良雄先生

医学部進路の決め方

Q1.昭和大学 医学部の特色を教えて下さい。

本学の医学部入学試験で特徴的なものとして、2019年入学の入試から昭和大学の他学部との併願受験ができるというシステムを作りました。医学部のⅠ期の入試の成績を利用して歯学部と薬学部を同時に受験することができます。先日、入試説明会を行ったのですが、個別の質問を多く受けましたので、受験生側からの関心は高かったようです。また他学部に入学後の医学部への転部も10年くらい前から行っています。転部の時期は1年生から2年生に上がる時になります。中には、この制度を事前に知っている学生もおり、入学されてらからも猛勉強される方もいらっしゃいます。成績だけではなく、モチベーションやクラブ活動も一生懸命にやっているかというところまで含めて選考しています。人数としては3名までです。
その他として推薦入試は本年度から特別協定校をもう1校増やし、2校目をつくりました。募集は若干名です。また、受験生の地域はだんだん都会に集中してきているため、地方からの入学者を増やそうとしています。そのために試験制度とは別に、大学の中で、昔あった県人会の発展形としてふるさと会という組織を作り、職員や学生のふるさとのつながりをより強くして、さらに同窓会からも受けてくださいと地域の医療関係者にプロモーションをしています。その甲斐あって少しずつ受験生は増えてきています。なるべく多彩な地域から来てほしいと考えています。
富士吉田に一年生が入る寮がありまして、ここが昭和大学の教育の一番の目玉であり、昭和大学の医療人の根っことなっています。寮は全て4人部屋になっており、4学部の学生をシャッフルして生活させています。それがコミュニケーション能力、色々な人に対する思いやりなど、そういった全人的なものを育む場所になっています。寮に入るまではご懸念や心配される方もいらっしゃいますが、ほとんどの学生は一週間もすれば打ち解けています。今、多くの学生さんはご自宅でも個室を与えられて、恵まれた環境にいますが、だからこそ価値があると考えています。4人という小さなコミュニティですので、部屋で寝坊していたら誰か起こしてくれたり、時々揉めたりしたりしてそれを解決したりと様々な事が起こります。そうしながら、だんだんとたくましくなり、コミュニケーション能力も上がっていくのだと思います。
今年、JACME(日本医学教育評価機構)の認証評価を受けましたが、評価委員会の委員長から「教育にすごく力を入れていますね」と高い評価をいただきました。その基本は富士吉田からスタートしています。卒業生が医師となって、それから指導者になっています。また、8病院で1200人くらいの教育職員がいます。もちろん外から来た先生もいますが、その先生達も入ると必ず一緒に教育ワークショップでファカルティ・ディプロプメントに取り組んでもらい、昭和大学の原点を知っていただいています。そういったところで教員も教育に対して熱意が高く、面倒見がいい点であると思います。
また、授業についていけない学生への指導については2年生からは下位10%の20人に対して修学支援の教員を付けています。主に基礎系にいる講師と助教の先生か時間に余裕がある先生を2人ずつくらいつけて、勉強の進捗状況やどこが難しくてわからないのかというところを一緒に勉強します。毎日ではありませんが、最低週に1回は学生に報告をしにいらっしゃいという指導をやっています。

昭和大学医学部

Q2.昭和大学医学部が育成したい医師像、そのための教育カリキュラムの特徴について教えて下さい。

今ちょうど教育カリキュラムはJACMEの医学分野別評価から指摘を参考に学修成果基盤型カリキュラム(OBE)に変えている途中です。臨床実習はこれまで52週から70週に増やしました。そのため、4年の後期から実習を行っています。以前は半年間で詰め込んで実施していましたが、すでに前のコアカリキュラムのときに、だいぶ学習内容をそぎ落としました。現在、中心になるのはPBL(問題解決型学習:Problem-Based-Learning)などになります。コアな部分はこちらでも提供しつつも、学生自身が自主学習、アクティブラーニングを実践しています。
これまで講義では臨床系の各論にかなりの時間を割いてきていたので、それをもう一回見直して再編しているところです。頻度の低い疾患までを解説するのではなく、メインの病気をしっかり学んでもらって、あとは臨床実習で学ぶという方法がいいと思っています。新しい学修成果基盤型カリキュラムがスタートするのにあと2年くらいかかると思います。
卒業後に関してのサポートとしては今、初期研修医がどのくらい研修に行っているか、目標に対して達成できているか。専門医の専攻化がどれくらい進んでいるかチェックができています。それを専門医研修のところまでつくり、シームレスにつなげていきたいと思っています。
医学部、薬学部、歯学部、保健医療学部が幅広く連携して仕事を推進していく流れというのは昭和大学の特徴です。昭和大学の歴史は、創設者の上條秀介先生が医学部をつくり、薬学部をつくり、という形で医系の総合大学にしたいという思いで始まっています。そういう意味では先見の明があったと思います。チーム医療だとか地域医療だとか今ではもう当たり前の考え方を本学ではずっと以前から取り組んできました。
薬理学講座では、医学歯学薬学の学部を越えて一つのフロアーで共同の研究室と研究体制をつくっています。情報を共有できるうえ、無駄を排し、機材に投資できます。その他にも先端がん治療、スポーツ運動科学、発達障害と臨床薬理学に関する研究所があり、それぞれ学部としてではなくて研究所として取り組み、学部を越えてみんなと交流して研究していこうと取り組んでいます。
学生たちにはこういった学びを通して、協調しつつも自分たちがリーダーシップを取っていけるようにそんな人間になってほしいと思います。

昭和大学医学部

Q3.ご自身が、医師を目指されたきっかけや受験勉強でのエピソード、人生のターニングポイントなどについて、お聞かせ下さい。

私は葛飾柴又出身です。家が医師の家系だったわけではなく、私の母親のいとこである方が医師だったのですが、そこに小さい時から通っていて、興味はありました。寅さんのところと思いっきり近くて、寅さんのところの団子屋でアルバイトして人と接するのが好きでした。その後開成高校に進み、理論物理だとかをやりたいと思っていましたが、それでは食べられないと思い、当時学費が安かった昭和大学医学部に入学しました。
入ってからはまだ開業医をするのか何をするのか迷っていました。一年生の夏に、たまたま高校の先輩が白馬山山頂で活動する白馬診療部の主将だったので、「お前、入れ」と誘われて入部しました。そしたら部活にはまってしまいました。登山者に対して消毒ってこうするんだとか先輩に教わりながら治療していました。1年が終わった時にはここで頑張ろうというふうに思いました。泌尿科に進んだのは、白馬診療部の5年生の時、まるまる1か月間、白馬にどっぷりつかっている時にきっかけがありました。その時に非常に仲良くして頂いたOBの先輩が泌尿科の先生でした。腎臓のことが好きだったので、腎臓内科に行こうか泌尿科に行こうか考えていました。臨床実習で色々と回っていましたが、外科系、内科系なんでも選択できて手術もできると、そう先輩に言われて泌尿科を選びました。
その後、国内留学や海外留学を経験しました。国内留学では東大医科研へ行きました。私立と違う文化で教わることができてよかったと思います。国立は非常に優秀な先生がたくさんいますし、人間的にも素晴らしい方がたくさんいました。ただ純粋にどういう風にやったら研究のリサーチをやったらいいかと研究に打ち込むことができました。実際に医者になってから大阪の病院に1年、神奈川の病院に3年くらい勤務しました。大阪の病院に行った時には阪大の外科の先生たちと一緒に共同手術をしましたが、これもまた阪大流の手術を教わることができ、勉強になりました。海外はノースカロライナのデューク大学へ行きました。そこで前立腺がんの研究をしていました。日本とは雰囲気も、医療のシステムも違っていましたが、文化も違っていてジェンダーという言葉をよく耳にしました。泌尿器科でも女性の先生が多くいました。泌尿器科だからと言って男性だけがやっているわけではなく、逆に女性だからということも全く感じなかったです。アメリカの人は、9時5時で帰る人も多くいますが、実際に伸びていく人は、夜を徹して研究していました。偉くなる人たちは尋常でない努力していました。
現在、臨床は週1日か2日くらいで、そのほかの日は学務と管理職としての仕事、そういうものが増えてきました。遅くなるのはしょうがないですが、遅くても家に帰って、朝ご飯をみんな一緒に食べようというのが我が家のモットーです。あと週末は必ず家族で一緒にご飯を食べます。
ライフサイクルを考えて進路選択することは自分自身を振り返ってみても難しいと思います。ただ、ターニングポイントがあったと思います。その時にがちっと次の方向が決まっていく瞬間があり、そしてまた次の段階になると決まっていく。決して最初から大きな最終目標を決める必要はないと思いますが、どこかの時点で真剣に考えることは必要なことだと思います。

昭和大学医学部

Q4.最後に、昭和大学 医学部を目指す受験生に求める心構え、メッセージをお願い致します。

医師になるためには、人の心を思いやるような心を持っていることと併せて、社会常識がある人がぜひ来て欲しいです。受験勉強の時にはなかなか難しいでしょうが、実際に入ったらいろんな映画を見たり本を読んだり、人間性を深めてください。そういったことが基本になければ臨床医にはなれないです。患者さんとお話をしているときに社会で何が起きているか知っていないといけませんし、そこで中立的な立場をとれるかということも大切です。また、世界の名作を読んでいるかなどの教養も必要だと思っています。実をいうと医者は、理系というよりも文系ではないかなと思っています。多くの先生は小説を読んだり、名作を読んだり、人間の心がどうなっているか考察したり、夏目漱石や森鷗外だけじゃなくて海外の古い古典を読んだりされています。マンガからでもいいので、それから興味をもって本格的な本を読んでもらえればと思います。私自身、柴又からここの学校に通う間に小一時間かかりましたが、その間に文庫本を読んでいたりして、古典を読んでいました。今はスマホでも古典を読めたり、無料で青空文庫とかで読めたりできます。若いころからずっと興味をもって学べればいいのですが、若い時に読んで、またある年になった時に社会的な問題だとか時事的なものに興味を持って学んでもらいたいです。
あと、大切なことは精神的に打たれ強くなることです。頑張るけれども、折れやすい子がけっこういます。少々のことではめげない。めげたりするけれどもそのあとすぐに回復する。そして事実に向き合う。私自身も今まで何度も打たれたことがありましたけれども、最後はまあいいか、ケ・セラ・セラという気持ちに切り替えてやってきました。その日はすごく落ち込むのだけれども翌日にはもう忘れて。ダメでも自分の命を取られるわけではないしと、医者やめろと言われているわけではない。そう思うとまた普通に戻れるのです。浪人したからと言ってそれで終わりではないですし、人生は留年したからと言ってそれで終わりではなく、国家試験を1回落ちたからと言って終わりじゃない。またもう一回行きましょうと、再チャレンジは可能です。
たとえ留年してしまったお子様でもこうして必ず親子面接をします。そうすると成績だけでやめざるを得ない学生はほとんどいません。それよりも、どうしても医学に合わないことが後で判明した子のほうがその対応が難しいのです。

関連リンク 昭和大学ホームページ

おがわよしお
小川良雄先生 略歴

現職
学校法人昭和大学医学部長・医学部泌尿器科学講座 教授

学歴・職歴
1981年3月 昭和大学医学部医学科 卒業
1985年3月 昭和大大学院医学研究課博士課程 終了
1985年4月 昭和大学医学部泌尿器科学講座 助手
1986年2月 東京船員保険病院透析室 医長心得
1987年4月 東大医科学研究所 文部技官教務職員
1988年4月 昭和大学医学部泌尿器科学講座 助手
1990年8月 清恵会病院 泌尿器科 部長
1991年7月 総合高津中央病院 泌尿器科 医長
1995年1月 昭和大学医学部泌尿器科学講座 助手
1996年7月 昭和大学医学部泌尿器科学講座 講師
1997年8月 米国Duke University Medical Center,Research Fellow留学
2001年3月 昭和大学医学部泌尿器科学講座 助教授
2007年7月 昭和大学医学部泌尿器科学講座 教授
2007年7月 昭和大学病院泌尿器科 診療科長
2011年5月 昭和大学医学部教育委員長
2017年4月 昭和大学 医学部長
現在に至る

学会活動
日本泌尿器科学会(代議員、監事、専門医制度審議会委員、国際委員会委員、学術委員会委員、保険委員会常任委員、倫理委員会委員、専門研修プログラム管理委員会委員長)
日本泌尿器腫瘍学会、日本排尿機能学会(評議員)、日本内視鏡外科学会(評議員)
日本ミニマム創泌尿器内視鏡外科学会(理事、保健委員長)日本老年泌尿器科学会、
日本尿路結石症学会、日本性機能学会、日本癌学会、日本癌治療学会、日本腎臓学会、
日本透析医学会、日本移植学会、日本臨床腎移植学会、日本臨床免疫学会、
日本化学療法学会、日本抗加齢医学会、日本Men's Health医学会、日本生殖医学会、
日本外科系連合学会(評議員、Fellow会員、学術委員)、日本アンドロロジー学会、
日本教育学会、日本登山医学会、SIU(国際泌尿器科学会)、AUA(アメリカ泌尿器科学会)

免許・資格・特許
1981年5月 医師免許取得
1985年3月 医学博士取得

日本泌尿器科学会専門医、日本泌尿器科学会指導医
日本腎臓学会専門医、日本腎臓学会指導医
日本透析学会専門医、日本透析学会指導医
日本がん治療認定機構 暫定教育医
DUKE University 客員教授
台湾泌尿器学会栄誉会員

2016年12月 特許取得:名称・癌に対する遺伝子治療剤およびその製造方法