埼玉医科大学医学部長 村越隆之先生
Q1.埼玉医科大学が育成したい医師像、そのための教育カリキュラムの特徴について教えて下さい。
埼玉医科大学は1892年(明治25年)に設立された精神科の毛呂病院が母体となっており、その後、総合病院として発展し、1972年(昭和47年)4月に丸木清美先生の尽力により開学されました。このように、埼玉医科大学は127年もの間、地域医療を担っています。建学の理念として、生命への深い愛情と理解と奉仕に生きるすぐれた実地臨床医家の育成、自らが考え、求め、努め、以て自らの生長を主体的に開展し得る人間の育成、師弟同行の学風の育成、を掲げて教育を行っています。
この理念を基に、患者さん中心の医療を実践できる「すぐれた医療人」を育成することを教育目標にしています。
埼玉医科大学では時代の要請に応えるために、教育カリキュラムの改善、教育環境の整備、教職員の資質の向上に務めています。これまでに、6年一貫統合カリキュラム(2000年)をはじめとしたカリキュラム改革(直近では2016年~)、医学教育センタ-設立(2003年)、医学教育用シミュレ-ション機器を備えたスキルスラボ設置(2004年)、最新のIT機器を装備した教育棟 “オルコスホ-ル” 建設(2011年)などを行ってきました。
また、教育現場では教員が学生を評価するだけでなく、学生が教員を評価することにより双方向で教育の質を高めていく努力を行っています。また、普段の講義は録画されており、いつでもビデオにより復習が可能になっています。多くの熱心な学生が盛んに利用しています。
医学部奨学金制度もこれまで以上に充実させています。2019年度入学者より特別待遇奨学生制度の適用が開始されています。意欲の高い学生が本学の教育に参加しやすいように経済的な支援をするものです。こちらの制度も利用して多くの方に医学部へチャレンジして欲しいと思います。
現在、2022年に創立50周年を迎えるにあたり教育環境をさらに充実させるために新教育実習棟の建設がスタートしています。少人数教育を多用した実習やシミュレーション教育を自在に展開できる施設が近日中に完成する予定です。
卒業後の臨床研修はもちろん、卒前教育過程での臨床実習においても、現場での多様な症例を適切な指導の元に体験することは非常に重要です。埼玉医科大学には3つの特徴ある病院があり、その一つ一つが通常の医学部付属病院の規模を有して病床数は総計2,700床に及びます。これは本学の臨床教育にとって大きな強みであります。
本学は「建学の理念」と「埼玉医科大学医学部の期待する医療人像」に掲げられる「すぐれた実地臨床医」を社会に送り出すことによって、保健・医療・福祉の発展に寄与することを目指しています。上に述べてきた数々の努力の結果、これまでに4,014名の卒業生が本学を巣立ち、その99.0%が医師国家試験に合格し、医師となって、わが国の保健・医療・福祉の分野で活躍しています。
Q2.先生ご自身が、医師を目指されたきっかけや受験勉強でのエピソード、人生のターニングポイントなどについて、お聞かせ下さい。
私自身は親がサラリーマンでしたし、当初は医学部を考えてはいませんでした。子供の頃に日本人として初めてノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹先生のことを繰り返し聞かされたせいか、物理学者に憧れていました。今の若い方にはピンとこないかもしれませんが、当時は湯川秀樹の名前は多くの日本人にとって輝かしい誇りだったのです。
その後、国立市にある桐朋高等学校に通っていた時に自然科学分野でも生命現象、特に生命誕生や進化、発がん、さらに意識や言語機能のような脳機能、に対して興味が湧き、医学部を目指すことにしました。桐朋高校は元国立がんセンター総長の垣添忠生先生を始め多くの医師医学者、さらには作家の赤川次郎や俳優の西島秀俊などの卒業校です。高校のある国立市は一橋大学を中心とする文教都市で、中心を貫く大学通りは我々にとって「哲学の道」であり、毎日の行き帰りに友人とあらゆる議論を交わしながら通ったものです。
結局、脳研究が最大の動機で、東京医科歯科大学医学部へ進学しました。御茶ノ水の専門過程では、萬年甫先生を始め多くの素晴らしい先生方との出会いがありとても充実していました。講義時間外での抄読会、夏休み春休みの実験室通いなど、今でも印象深い思い出です。
大学が東京の中心部に位置し大小の美術館に気軽にアクセスできたことは、教養学部以降も趣味を広め専門の勉強の合間に息抜きができて幸せであったと思います。
卒業時には、臨床では唯一精神科を考えたものの、神経薬理学の魅力に惹かれて大塚正徳先生の薬理学大学院に進学し、ラット中枢神経系の in vitro 標本を用いた呼吸中枢の神経伝達物質研究で学位を取りました。大学院時代は寝ても覚めても実験のことばかり考えていたように思います。
1988年から2年間、大塚先生が、その昔に同僚だったノーベル生理学・医学賞受賞者であるトルステン・ヴィーゼル先生を紹介くださり、ニューヨークのロックフェラー大学に留学しました。帰国後は医科歯科大に戻り中枢神経内でのガン関連遺伝子の挙動を調べるなど研究を行い、その後も日本医科大学、東京大学教養学部で研究と教育を続けました。埼玉医科大学は2010年からご縁があって医学部生化学教授として赴任し、現在は医学部長を拝命しています。
ここまで研究に打ち込んでこられたのは、「好きなことはやめられない」という、ゲームに嵌る現代の子供達となんら変わらない”報酬系行動原理”で自分が動いてきたのだろうと感じています。
Q3.最後に、埼玉医科大学を目指す受験生に求める心構え、メッセージをお願い致します。
埼玉医科大学は都心の喧騒から離れた緑豊かな環境にあります。雨上がりなど、水墨画のように幽玄な美しい山際の風景が楽しめます。教員はみなさん驚くほど熱心で、学生たちも互いに協力し合って勉強に励むという学風です。「師弟同行」という建学の理念にもあるように本当に教員と学生が二人三脚で大学生活を送っていく姿が日常的に見られます。かけがえのない恩師や仲間がきっと見つかるはずです。学生たちにとってアットホームで温かいところだと思いますよ。教育システムに関しても学生が効率よく学習していけるように医学教育センター専属の複数のスペシャリストの先生方が常にカリキュラムを整備しています。
そのような環境を最大限に活用していただく為に、私たちは、自立心があり、積極的に学ぶことのできる、目的意識の明確な方が本学を目指してくれることを期待しています。知らないこと、わからないことに進んでアプローチできる「知的行動力」のある人、自らを律して自分の夢に向かって努力を維持できる人に入学して欲しいです。「医学部の期待する医療人像」に描かれる「すぐれた臨床医」となって患者さん中心の医療を実践し、社会に貢献することを目指し、誇りを持って自己研鑽を続ける意欲のある学生を求めています。
関連リンク 埼玉医科大学ホームページ
1981年 東京医科歯科大学医学部 卒業
1985年 同 大学院博士課程(薬理学)修了
東京医科歯科大学医学部 検査部、医員
1986年 同 薬理学、助手
この間、1988年~1990年 米国ロックフェラー大学、博士研究員
1996年 東京医科歯科大学医学部 薬理学、助教授
2002年 日本医科大学医学部 薬理学、助教授
2003年 東京大学大学院 総合文化研究科、助教授、准教授
2010年 埼玉医科大学医学部 生化学、教授
2018年 同 医学部長